マスロー「完全なる人間」を図を交えて整理してみる_20

明けましておめでとうございます!色々あった年始ですが、皆様にとって良い1年となることを心よりお祈り申し上げます。

今年も引き続き、アブラハム・H・マスロー氏「完全なる人間-魂のめざすもの」をテーマとして、読書日記をまとめていきます。

前回からは第Ⅴ部「価値」第11章「心理学のデータと人間の価値」に入り、当時の重要な知見研究の動向検証しなければならない課題について取り組んできましたが、今回はその後半となります。

今回は特に人間の本能的欲求の複雑さ、自己実現への道における障壁に関する課題が紹介されます。

それでは早速本題に入りましょう!

「本能」論:基本的欲求論

第11章「心理学のデータと人間の価値」で筆者は、人間の最も深層にある欲求が、それ自体危険でも有害でも邪悪でもないと言及しました。

この記述により筆者は人の本能、欲求の求める価値は悪いものではない、つまり性善説を主張していると感じますが、本書内で筆者はこれを否定します。

自己実現、自己、真実の人間性に取り組む思想家グループを例に挙げ、彼らの主張(自己の本性に忠実であること、自己を信じるべきであること、誠実で自発的で率直な表現に富むべきであること)は理想論であると指摘します。

多くの人は誠実であるべき方法を知らないこと、また自己の表現が自分・他者に害を為す可能性を考慮せずに、自身の欲求への追求・追従を推奨することは問題である、というのが筆者の主張です。

ここで筆者は本能的的な反応の一つとして怒りを例とし、心理学的な健康状態によってその性質が変化することに言及し、心理学的な健康状態により本能的な反応が導く行動とその結果が変化することを示唆します。

健康な人にとっては、怒りは、(中略)反応的なもので、過去の性格的な蓄積ではない。つまり、なにか現実に存在するたとえば不正や搾取あるいは攻撃といった事態に、有効適切に反応することであり、遠い過去に誰か他の人が犯した罪悪に対して、無実の傍観者のうえに不当な捌口を見出して攻撃するというものではない。怒りは心理学的健康とともに消滅するものではなく、決断、自己肯定、自己防衛、義憤、懲悪などの形をとる。

アブラハム・H・マスロー「完全なる人間」p206

一般的に怒りと聞くと、攻撃的で悪いものというイメージも浮かびますが、心理的な健康な人にとっての怒りは違う形をとると筆者は指摘します。

健康な人にとっての怒りは事態を解決する決定・行動のための、より良く生きるのに必要な反応・挑戦となります。

その一方で心的に病的な人にとっての怒りは、満たされない不満や欲求の一時的な発散を目的とした反応となり、感情をぶつけること自体が目的で事態の解決にはつながりません。

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満たされない欲求の捌け口として他者への攻撃という衝動があるのであれば、SNS上で他者への攻撃・過剰な批判が度々見られる理由も分かる気がしますね。

このように怒りという同じ本能的な反応をピックアップしても、その表現・結果は大きく異なり本能的な反応の善悪は一概には判断できず対象者の心的な健康状態に着目した研究が必要であるという結論に至ります。

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ここは大分解釈に苦労しました。心理的に病的な人に自己の実現を推し進めても、問題的な行動の引き金となる危険性があり、基本的欲求の満足へのアプローチが前提として必要であると読み取りました。

統制と限界の問題

次に筆者は自己実現、心的な健康に至ること自体の難しさ、そしてそこに至るのに必要な要素も複雑であることを指摘します。

筆者は心的に健康で、人間にできることを実現した完全な人間に至るのは100-200人にたった1人であると推測します。

欲求の階層説や、自己実現という言葉はイメージしやすくシンプルであるため、概念さえ理解できれば達成も容易であるという錯覚を生みますが、実際は実現するのもその実現を支援するのも困難な道であることを筆者は指摘します。

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ここで筆者は、完全な人間を目指す人への警鐘というよりは、人を導くことを容易と楽観視している理論家の問題点を指摘しています。

そして筆者は、自己実現する人々の生活歴から、何が実現を促進する要因となるのかを調べる研究の必要性を主張します。

ここまでの研究でわかっていることは、基本的欲求の満足が自己実現のための重要な必要条件であるという点です。

しかし、その一方で欲求を無制限に満たすことが対象の成長にはつながらないという点にも注意が必要となります。

子供の成長でいえば、子供の健全な成長に必要なのは彼らの欲求にこたえ続けることではありません。甘やかしすぎること、彼らの言いなりになることが自立・自律を妨げ依存や自己中心的な性格への危険な成長に繋がることは想像に難くないでしょう。

子供の健全な成長には、物的に満足は制限されること、他人もまた満足を求めていること、親も含め他者が自分の欲求を満たすための単なる手段ではないことを学ぶ必要があることを筆者は主張します。

「やりたいようにやっていい」というのは、ある程度自己訓練を積んだ信頼できる人にのみ贈れる言葉となります。

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過剰な甘やかしや環境の整備は相手の成長の妨げになるという点を教育の上では留意しなければいけません。

退行的力

また、人を完全な人間に導こうとするのであれば、自己実現への成長を妨げるもう一つの問題に取り組む必要がある点を指摘します。

その問題とは、自己実現への道からの退行の力です。これは筆者の記載からかみ砕くと、先延ばしや怠け、逃げ、誘惑への弱さを指します。

理想の道を描いても、そこに至るまでの自己訓練、いや時には理想の道を描くこと自体から逃げようとする衝動が生まれます。

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自己実現への成長を妨げる楽な選択肢を選ぼうとする衝動は私自身も日ごろ感じており、悩んでいます。その悩みを自覚すればするほど考えたくなり、逃避の衝動も強くなるのです。

この衝動の原因として筆者は、自己実現への欲求は本能的であるが他の欲求と比較して弱い点、(筆者は本書内では西洋文化に言及)自己実現への欲求を含めて本能的な欲求はすべて悪とされ、禁止・抑圧する文化的な圧力がある点をあげています。

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この辺は「自由からの逃走」の逃避のメカニズムと関連性が高いと感じました。

自己実現の道に様々な障壁があることを紹介する一方で、筆者は心理学や精神病理学にこれらの衝動の要因やそれを解消するための知見が蓄積されており、それを活用することで問題を解決できる可能性を筆者は示唆します。

問題の複雑性のため現時点での解決は難しいと断ったうえで筆者は価値論に対する結論を整理します。下記にその抜粋を整理します。

  • 自己知識※は、自己改善の主流と思われる
  • 自己知識や自己改善(自己実現のための取り組み)は大多数の人にとって非常に難しく大いなる勇気と長期の苦闘が必要である
  • 心理療法の専門家の助力はこの過程を容易にするが、それが唯一の方法ではない。知見は教育、家庭生活、日々の生活にも応用可能である。
  • (自己実現に逆行する)おそれや退行や防衛や安全性の力を正しく尊重・理解することこそ、自己や他を助けて、健康への成長を可能とする
  • (上記を無視した)誤った楽観主義による導きは幻滅と怒りと絶望を生む
  • 要するに、人間の健康な傾向を理解しなければ、人間の弱さを本当に理解できない。一方で人間の弱さを理解できなければ、決して人間の力を完全に理解できず、助けることもできない。

※自己知識:「自己概念よりも包括的に、過去の思い出や将来の姿の予想なども含めた知識」(山本、2001

人間の弱さや、成長を恐れようとする傾向も理解しなくては、自己実現への道を主張しても理想論で非現実的な楽観主義となってしまい、良い変容を実際にもたらす取り組みにはならない。

むしろ、理想とのギャップを強調することで、対象者に絶望等の逆効果を生む可能性も懸念されます。

人間の病的な部分と健康な部分の両者の理解が、人の健全な成長を実現・支援する上で重要となります。

心理的に病的な患者の治療と観察により得られた人間の弱さとその解決方法について知見を持つフロイト主義的な欠乏の心理学と、健全な成長を遂げた自己実現者への観察により得られたデータを元とした筆者の提唱する健康の心理学の調和の重要性が読み取れます。

自己実現への成長を支援する上での欠乏の心理学と健康の心理学のアプローチ
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心理学の統合を目指すという第1章で紹介された筆者の目標もその理由も含めて再確認できます。

以上、第Ⅴ部「価値」第11章「心理学のデータと人間の価値」でした。

人間の本能的欲求の複雑さ、自己実現への道における障壁に関する課題が紹介され、人の成長を支援する上での人間の弱さも理解することの重要性は、自己実現に限らず教育や人材マネジメント、カウンセリング等で非常に重要なポイントであると受け取りました。

次回は第12章「価値、成長、健康」に移り、人間の価値とは何であり、それはどのように観察・発見・特定されるかについての考察に入ります。

それではまた次の記事で!

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