エーリッヒ・フロム の「自由からの逃走」(東京創元社)についての読書日記、前回で背景情報は整理できましたので、今回から内容に入っていきます!
第一章:自由-心理学的問題か?
第一章では自由に関する問題提起と本書の対象について記述されています。
封建主義、教会支配からの解放
中世のヨーロッパ社会は封建主義・教会支配の時代であり、民衆は生まれながら隷属の存在であり、職業や運命、地位が決められ、自由が制限された存在でした。
時代背景を考えると、この外的支配からの解放は、人間を生まれながらの運命から解放され、人々が自由を手にし、充実した人生を過ごすための必要十分条件であると考えられていました。
そして、近代に近づくにつれ封建主義や教会からの支配は徐々に崩壊していったというのは前回触れた通りです。
となれば、近代以降人々は手に入れた自由を謳歌し、互いを尊重しあいながら幸せな人生を暮らせるようになったでしょうか?
筆者はそのようにはならなかったと指摘します。
自由を放棄する、自由に無関心な人々
近代に入るにつれ、人々は支配から解放されていきましたが、自由を謳歌する道には進みませんでした。
むしろ、自ら被支配に進み自由を放棄する者まで出現しはじめます。
この自由を放棄する民衆は、権威主義やファシストによる新たな支配力を増強し、この増強した支配組織は2回目の世界大戦を誘因する要素ともなります。
また、一方自由を捨てるまでいかなくても、この新たな支配者の膨張を傍観する自由に無関心な民衆の存在もありました。
外的支配さえなくなれば、人々は手に入れた自由を元に人生を謳歌できるはずと想像されていた一方、現実はそうはなりませんでした。
つまり外的支配からの解放は、全ての人々が自由を謳歌する素晴らしい社会成立のための十分条件ではなかったということになります。
本書の重要なテーマ
本書の背景にある考察すべき状況を上記の通り整理した後、本書のテーマを掲示します。
人間が自由/支配を求めるそれぞれの理由
自由は人間にとって好ましいもののはずです。
では、人間は自由を手に入れて何を成し遂げたいと思うのか、なぜ自由は人間にとって好ましいものなのか、そして、自由の恩恵を受けている人はどのような人なのかという疑問が出現し、本書のテーマとなっています。
そして、その一方で外的支配から解放されて自由を手に入れたはずの民衆が、なぜ再び支配されることを望んだのかという人間の性格構造も本書の重要なテーマとなります。
民衆の動向と社会構造の関係性について
社会心理学者による本書のテーマは個人の動向や性格構造に限定されません。
社会により民衆が影響されるのみでなく、民衆の動向により社会構造が強化されるという、民衆の動向と社会構造の変化の双方向の関係が見られ、この関係性も1つの重要なテーマとなります。
例としては、権威主義における権威へ服従する民衆が多くなるほど、その権威はさらに強まり力を持つことでその支配力を強め、更に服従する民衆が多くなるという循環が発生します。
社会過程の内に人間の心理的要素がいかに働いてるかを調べるという点は、精神分析の知見を社会情勢全般への反映という意味で非常に大きなポイントとなります。
人間の性格構造を決定する上で重要な要素
また、第一章ではその後の議論を進める上でカギとなる、性格構造に影響を与える心理メカニズムや欲求について整理します。
これらが、自由を捨てて被支配を求めるという逆説的な民衆の動向と人間と自由の関係性を考察する上で重要な要素となります。
動的と静的な2つの適応
まず性格構造に影響を与える心理メカニズムとして、「静的」な適応と「動的」な適応という二種類の適応を区別します。
筆者は「静的」な適応を下記の通り説明し、食事の様式が西欧風に変化することを例示しています。
「静的」な適応とは、ただ新しい習慣をとりいれるにすぎないような(行動)様式への適応であって、全体の性格構造は変化しない。(中略)この適応それ自身は、かれのパーソナリティにほとんど影響をあたえない。つまり新しい衝動や習性を生み出さない。
自由からの逃走 p22
一方「動的」な適応は性格構造に影響を与えるような動的な影響を持ちます。
厳格なおそろしい父親のいいつけに対し、子どもが無理やり「よい子」を演じるケースが例示されています。
この適応の背景として、厳しさや恐怖に対して生まれる敵意や反発や本来の性質等が、外的環境への適応のために無理やり抑圧されています。
この抑圧の結果として、適応者には新しい衝動と新しい不安という、その後の傾向や行動変化を生む要因が植え付けられてしまいます。
この外的環境への無理矢理な適応は、本心と行動間での摩擦を生みながら性格構造に変化を与える、「自由からの逃走」を説明する上での大事な要素となります。
人間が回避できない要素:生存欲求と社会組織
また、メカニズムの次に欲求へ話が移ります。
人間が回避できない欲求として基本的な生存欲求があります。
食欲や睡眠欲などの生理的組織により、遺伝子にコーディングされた欲求であり、人を労働へ向かわせる原動力の1つとなります。
この生存欲求があるからこそ、人は基本的に社会の中での労働から逃げ出すことができません。
この労働の形式というのは、所属する社会により具体的に規定されます。人間は社会の中でないと生きられないという性質があります。
社会で生きようとする以上、どれだけ自由に生きようとしても常識や価値観、ルール等、所属する社会からの影響は免れません。
この生存欲求と社会組織からの影響というのは原則として変更できない、人間の性格構造に影響を与える第一次的な要素となることを筆者は指摘します。
人間は生まれたとき、すでに舞台は作られている。人間は食べたり飲んだりしなければならない。そしてそのために働かなければならない。しかし、それは特殊な条件のもとで、かれが生まれおちた社会できめられている流儀にしたがって、働かなければならないことを意味する。生きようとする欲求と社会組織との二つの要素は、個人としての人間にとっては原則として、変更できないものであり、それはさらに、より大きな可塑性をもっている他の習性の発達を決定している。
自由からの逃走 p24-25
もう一つの強制的かつ重要な欲求
また、さらにもう一点生理学的でない欲求として、孤独を避けようとする精神的な欲求が紹介されます。
社会組織の一員として生きる上では、自分以外との外的なつながりが重要となり、ただ生きるという肉体的な意味のみではなく、孤独を避けようという精神的な欲求が生まれます。
人間は協同しないと生きていけない生き物であり、そのことを幼少期から刷り込まれて生きていきます。そのため、人間は孤独に対して恐怖心を覚えます。
また、人間は自我という形で自分を他人と異なる存在として思考する能力があります。
これは自分を自分以外と比較することを可能としてパーソナリティの確立を助けますが、同時に死や宇宙等の大きな存在を前に比較した時に自分の無力感と矮小さを感じさせる要因となります。
この無力感の前で自分の人生に何らかの意味を見出せないと、人は行動する力と生きる力を失ってしまいます。
この意味の実感が順調に出来れば問題ないのですが、上手くいかない時に人間の精神に不適応が生じます。
そして第一章を筆者は下記の言葉で締めます。
すなわち他人や自然との原初的な一体性からぬけでるという意味で、人間が自由となればなるほど、そしてまたかれがますます「個人」となればなるほど、人間に残された道は、愛や生産的な仕事の自発性の中で外界と結ばれるか、でなければ、自由や個人的自我の統一性を破壊するような絆によって一種の安定感を求めるか、どちらかだということである。
自由からの逃走 p29
上記の太文字部分が「自由からの逃走」にあたりますね。
人と自由の関係とはどのようなものか、個人の性格構造と社会組織はどのように関係するのか、なぜ人は手に入れた自由を手放し「自由からの逃走」へ向かうのか、今後の記事で更に読み進めていきましょう!
それではまた次の記事で!