エーリッヒ・フロム の「自由からの逃走」(東京創元社)についての読書日記、今回は第二章に入っていきます!
今回の内容は中世から近代にかけて外的支配から解放された民衆の心理に何が起きたか、そして二種類の自由というのが主なテーマとなります。
過去記事はこちら:背景情報の整理、第一章: 自由-心理学的問題か?
第二章:個人の解放と自由の多様性
第二章では、第一章で問題提起した「被支配を望む人々の性格構造」を読み解く準備段階として、自由の定義について確認し、二種類の自由があることを提唱します。
そして、解放さえた個人が個性を確立していく過程で、性格構造に作用する絆についても触れます。
個人の解放
第一次的絆とは?
まず、人間が外的支配から解放される前はどのような状況であったかを確認します。
この支配から解放されていく過程は周囲からの独立として「個性化」と名付けられ、社会/世界からの独立という近代化に向けて拡大したマクロの視点、親からの独立という個人の成長過程におけるミクロの視点が紹介されます。
宗教革命以前は、人と世界との分離という認識は曖昧であり、世界の一部としての自覚が強かったため、民衆と社会の間の絆は強固でした。
劣悪な環境であったと推測されますが、生きるための手段や生きるための目的も社会から生まれながらに与えられた時代といえるでしょう。
これは母親と子がへその緒で、また、へその緒が取れた後も赤子は母親に機能的な依存という絆で繋がっている状況と類似していると指摘します。
共通点としては、人間、そして赤子はこの絆によるつながりにより安定感や帰属感による安心感を与えている点です。
筆者はこの絆を「第一次的絆」と呼び、この状況では個性や自由は無い一方で安定感と方向づけ(生きる意味ややるべきこと)が与えられていると指摘します。
第一次的絆からの解放
人間が自己を周囲から固有の存在と自己認識し、個性と自由を獲得するためには、この第一次的絆からの解放が必要となります。
機能的に未成熟な赤子は行動を親に依存せざるを得ないですし、未開社会や近代前の社会では、人々は役割や運命を所属する社会により規定された社会の一部としての存在に留まっており、自ら自分の行動や仕事を決める自由はありませんでした。
そのため、第一次的絆とその要因となっていた外的支配が自由の阻害因子と考えられ、その支配からの解放が自由を手に入れるための必要十分条件として考えられていました。
第一次的絆から解放されることにより、人々は自分を独立した存在と認識することで個性を獲得して成長の可能性が拡大し、自由な存在へと進むことが可能となります。
第一次的絆からの解放による負の影響
しかし、この第一次的絆からの解放はそのような良い影響のみではなかった点を筆者は指摘します。
前述の通り、第一次的絆は所属する相手に安定感や帰属感による安心感を与えています。
この絆から解き放たれた後、人はその安心感を失った孤独な状況で、外界から来る脅威や恐怖と個人で向き合う必要がでてきます。
人間は動物に対して非力で個人で生きる力が乏しいので、外界への恐怖心は一層高いものとなります。
この外界に対し、個人で柔軟に適応できた人々は、個性を活かした自分らしい充実した人生を手に入れることができます。
しかし、この環境変化に対応できなかった場合は、安定感と帰属感を失った孤独感、そして、外界という脅威や恐怖に対する無力感に苛まれることとなります。
この孤独感と無力感が人々を「自由からの逃走」への衝動を生み出します。
孤独感と無力感への対処法
孤独感と無力感による服従への衝動
第一次的絆から解放された民衆は個人で外界に立ち向かうこととなり、適応が上手くいかない場合に無力感と孤独感に苛まれます。
この無力感と孤独感を克服する衝動とその結果について下記の通り紹介します。
ここに、個性をなげすてて外界に完全に没入し、孤独と無力の感情を克服しようとする衝動が生まれる。しかしこれらの衝動やそれから生まれる新しい絆は、成長の過程でたちきられた第一次的絆と同一のものではない。ちょうど肉体的に母親の胎内に二度と帰ることができないのと同じように、子どもは精神的にも個性化の過程を逆行することはできない。
自由からの逃走 p39
無力感と孤独感を克服するために、解放前の状況に戻ろうとする衝動が発生する、しかし、個性化の逆行はできないためその克服の願望はかなわないというのがポイントです。
一度外界を知ってしまった後に、元の状況に戻ろうというのは服従を自ら選択することを意味します。
この自ら服従するという選択は、自分の可能性や個性を放棄することを意味し、その自己認識と自分への負い目から逃れることはできません。
そのため、帰属による表面的な安心感を得ることができるかもしれませんが、無意識の力により、服従という事実から生まれる不安、そして服従先への敵意と反抗を増大する結果となります。
こうなると帰属先は安心を求める相手でありながら不安を増大する要因ともなり、その不安により依存度が更に高くなるという負のスパイラルに陥り、根本的な問題解決は放棄され続けます。
孤独感と無力感へのもう一つの対応策:愛情と生産的な仕事
一方、服従が孤独感と無力感に対する唯一の解決策ではなく、愛情と生産的な仕事による外界との自発的な関係を持つ道があることを筆者は主張します。
もう一つ、解きがたい矛盾をさける唯一の生産的な方法がる。すなわち人間や自然にたいする自発的な関係である。それは個性を放棄することなしに、個人を世界に結びつける関係である。この種の関係-そのもっともはっきりしたあらわれは、愛情と生産的な生産的な仕事である-は全人格の統一と力強さにもとづいている。
自由からの逃走 p40
この自らの力で紡ぎだした新たな関係は、第一的絆と異なり、人間を自由で独立した個人として社会と結び付けることで、自由や個性を積極的に実現することを可能とします。
自発的な関係による結び付きが孤独感を、また生産的な仕事による自分の生きる意味の認識と結びつきによるアイデンティティの確立が無力感を解消してくれます。
そして、人々が服従による隷属的で依存的な関係を選択するか、それとも自発的で独立した関係を選択するかを考える上の要素となる二種類の自由が掲示されます。
受動的な「・・・からの自由」
まず一つ目は「・・・からの自由」です。
この「・・・からの自由」というのは、多くの人にとっては自らつかみ取ったものではなく、社会構造の変化や自然の流れにより、受動的に与えられた自由となります。
この解放の時期は自身で選ぶことができず、それまでに外界と対処するための成長と発達が必要となります。
そのため、調和された発達が妨げられる場合、その自由を活かそうという積極的な姿勢や準備ができていないため、外界に対していきなり解き放たれた際に混乱による不安を生み、孤独感と無力感の原因となります。
この選択というのも人間固有の特性によるものです。動物は本能に厳密に決められた行動に終始しますが、人間は欲望の種類がありそれにより優先順位付けや行動方針の決定が必要となります。選択できるからこそ悩みや不安が発生するという側面が出てきます。
自発的な「・・・への自由」
一方、もう一つの自由の形として「・・・への自由」が挙げられます。
こちらの「・・・への自由」は、受動的に与えられた自由とは異なるあり方です。
周囲と積極的にかかわり、愛情を育て、仕事による貢献と能力の発揮をすることで、成長を実現し個性を発揮しながら自発的に社会と自分らしくかかわることで、孤独感と無力感を克服します。
例えば、自主的に始めた仕事が社会に認められた時、人は自分の存在理由と可能性を実感でき、また社会から求められながら貢献することで、社会とのつながりを形成することができます。
生きる目的や理由はすべての人にあり(というか自分で生み出すことができ)、自発的な関係を形成することでその目的や理由の実感や確信を強めることできると個人的に考えています。
「・・・からの自由」と「・・・への自由」との乖離とそれがもたらす衝動
近代において、外的支配からに解放により「・・・からの自由」は進みましたが、「・・・への自由」は進みませんでした。
それは、社会において、調和のとれた発達に対して多様な障壁が存在するためであり、その結果、近代は特殊な社会構造が形成されたと筆者は指摘します。
近代では社会構造の変化により自由の可能性が拡大して一部の人は成功しており、その達成ができたはずなのに自分はその中に入れないという状況が発生します。
一次的絆の中で選択肢がはじめから無いのであればこの理想(「~への自由」の達成)と現実(「~からの自由」における苦難)のギャップは発生しませんでした。
このギャップが個性の解放によって自分の無力感という形で人々を襲いました。
その結果、この乖離から目を背けるために被支配への衝動が発生し、この動きは一部の社会構造の膨張を後押ししました。
次章から、この特殊な社会構造と近代人の性格構造の形成について理解するために、15-16世紀の宗教革命時代から、社会構造の変化と民衆への影響を確認しながら近代へ近づいていきます。
次回からいよいよ社会構造とそれを構成する人々の性格構造の関係性に入ってきます。
両者はそれぞれどのような影響を持ち、どのような社会構造を形成していったのでしょうか?
それではまた次の記事で!