マスロー「完全なる人間」を図を交えて整理してみる_2

前回からアブラハム・H・マスロー氏「完全なる人間-魂のめざすもの」をテーマとして、読書日記をまとめています。

内容を整理しながら理解を深めるとともに、本書へ興味を持つ方を一人でも増やす、本書の内容理解の参考になる記事作成を目指しています!

今回は「第1章 緒言 健康の心理学」を整理します。

マスロー氏はこの章で健康者を対象とした新たな心理学が生まれつつあることと、その重要性を主張します。そして主張の上で、健康の心理学の前提となる筆者の仮説その心理学が目指す目的を整理します。

第1章 緒言 健康の心理学

健康の心理学が目指すもの

精神的本性の発見

本書は新しい心理学の誕生の予言により開始します。筆者はこの心理学を健康の心理学と呼び、科学的な立証が不足しており仮説の段階ではあるものの、素晴らしい可能性を持つことを主張します。

この健康の心理学は、現在は主体性創造性自己実現といった人間の肯定的な側面に着目した人間性心理学として確立されており、マスロー氏人間性心理学最も重要な生みの親と呼ばれています。

健康の心理学の目標は、人間の精神的本性を発見することで、人間の目指すべき姿を明確にし、理想の存在を目指す人々の後押しとなることを筆者は期待しています。

精神的本性とは

それでは精神的本性とは何なのでしょうか。筆者は精神的本性についての定義を9段階の仮説として丁寧に解説します。ここでは私が特に重要と感じたポイントを抜粋して下記の通りピックアップします。

  1. 人間は生物学に基づき、精神的本性を持っており、それはある程度「自然」で、本質的、かつ天与のものである。
  2. 各人の精神的本性は、独自のものである。
  3. 精神的本性は科学的に調べ上げ発見することが出来る
  4. 精神的本性は、本質的、基本的に悪ではないように思われる。基本的欲求、人間の基本的情緒、基本的能力は、一見したところ中立、あるいは積極的に善であると考えられる。
  5. 破壊、サディズム、残虐、悪意などは、本質的なものではなく、固有の欲求、情緒、能力の挫折に対する激しい反応とみられる。怒りも悪行になりえるが、それ自体は悪ではない。人間の本性は考えられているほど悪ではない。
  6. 人間の精神的本性善か中立的なものと考えられるため、抑圧するのではなく、むしろこれを引き出し発揮できるように支援することが望ましい
  7. 人は自身の精神的本性を否定、無視、妨害されると、程度の差はあるが病的な状態に陥る
  8. 精神的本性は動物的本能と異なり、デリケートで微弱なものであり、習慣・文化・周囲の圧力により容易に圧倒されてしまう。
  9. 精神的本性が消滅してしまうことは稀である。抑圧された状況でも、心の底に留まり、表現への欲望と葛藤を生む。

①,②は先天的なもので、かつ個性があることから、より生物学的にまとめると遺伝子に組み込まれているものと言い換えられると考えます。

③にある通り、この精神的本性を科学的に発見出来ると仮定することで、健康の心理学の可能性を支持します。科学的に発見することが出来れば、発見により得られた知見により、精神的本性を実現するための支援が可能になると考えられます。

つまり、健康の心理学より良く生きるための指針を与える一助となる可能性を示唆しています。

人は各自の精神的本性を先天的に持ち、この精神的本性は観察により科学的に発見できる。

また、④,⑤より、筆者は性善説的な立場を取っていることが分かります。人間の本性が悪なのであれば、本性をいかに抑えるかという議論になると思いますが、筆者は逆の立場を取ります。

人間の悪行と呼ばれる行為は、人間の本性から脱落したことにより発生し、本性に基づく行動ではないと主張します。

人間の本性が善であるからこそ、人間の精神的本性が発揮が推奨され、精神的本性を最大限に発揮することで、個人にとって望ましいより良い健全な状態、本書の表現でいうと完全なる人間に到達できると考えられます。

一方で、この精神的本性を発揮できない場合、人は病的な状態に陥ってしまうと筆者は主張します。

⑨にもある通り、精神的本性は発揮されなくても消滅せず欲求不満や葛藤の原因として心に留まるものと仮定すると、健全な人生を送るためには精神的本性の発揮が重要な要因であると結論付けられます。

⑧では、精神的本性はデリケートで微弱なものであり、環境要因によりたやすく打ち負けてしまうものだと説明します。

そのため、環境要因に負けずに精神的本性を伸び伸びと実現するには、健康の心理学の知見による支援が有用となる可能性が示唆されます。

以上を1つの図にまとめてみました!

健全な人格の観察により、人間の精神的本性の達成を後押しする知見の獲得が期待できる

「自由からの逃走」との近似点

⑦、⑨にあるような、手放して無視しようとしても無視できない欲求葛藤の原因という点は、以前本ブログで整理したエーリッヒ・フロム氏の「自由からの逃走」における、自由による恩恵の放棄がもたらす心理的影響に近いものがあると考えます。

  • ⑦人は自身の精神的本性を否定、無視、妨害されると、程度の差はあるが病的な状態に陥る
  • ⑨精神的本性が消滅してしまうことは稀である。抑圧された状況でも、心の底に留まり、表現への欲望と葛藤を生む。

「自由からの逃走」では、近代・現代社会で得られたはずの自由を自ら手放す人々の存在と行動に着目し、その心理過程が説明されました。

自由を手に入れたことにより、人は以前生まれながらに与えられていたコミュニティやその中での役割を自分で作らなければならなくなり、可能性が広がった一方でこの適応が上手くいかないと無力感や孤独感に苦しめられるようになりました。

無力感や孤独感への表面的な対処として、自由を自ら手放し逃避行動に走る人々が現れましたが、根本的な解決ではないため、逃走後も孤独感と無力感、および自分への罪悪感による苦しみに苛まれていることが指摘されています。

自由による恩恵を手放しても消えない孤独感、無力感及び自ら恩恵を手放したという無意識の罪悪感

健康の心理学の立ち位置-心理学の有用な範囲

人格の問題とは?-病的な人格という定義付けの難しさ

筆者は健康の心理学の立ち位置を明確にするために、人格の問題に関して記述します。

人格の問題について、ネガティブなイメージが先行することによる懸念を筆者は指摘します。実際に人格の問題と聞くと、神経症や精神症などの症状に苦しむ方々の姿が実際にイメージに浮かびやすいと思います。

しかし、「人格の問題は症状がある人に限定されるのか」と筆者は問いかけます。

筆者は表面的な症状の有無による健康か病気かの区別を否定し、病気は徴候を持たずに成り立つことを主張します。

例えば、仕事や家事、勉強という日常生活を一見問題なくこなしている人の心中にも、抑圧された欲求による葛藤や苦悩などの精神的な苦痛が存在している可能性があります。

筆者は葛藤苦悩克服成長と発展をもたらすという側面に着目し、精神的苦痛の対処を諦め、目を背けることは、高い理想への発達を妨げてしまうという懸念を指摘します。

症状のみで問題点の有無を判断した場合、対処すべき潜在的な精神的苦痛や問題症状が出ない限り放置されたままとなります。本来自分が望む理想から目を背け続ける状態健全な状況と呼べないでしょう。

筆者も声を上げるべき問題を無視することは病的であると主張します。


病的という表現は少し強すぎかなと感じますが、好ましくない状況であるとは言い切れると思います。

心理学の活用対象の拡大

既存の欠乏の心理学(D心理学)は、フロイトの精神分析を始め、有症状の患者の治療を中心にした心理学でした。

そのため得られる知見も患者から集められた病的な状況に関する情報が中心となるため、その適応範囲も限定され、克服すべき問題を抱えた多くの人が見過ごされていると考えられます。

また、症状の有無という区別により、無症状の多くの人自身の人格にある問題を直視せず満たされない現状を黙って受け入れている問題点を筆者は指摘します。

場合によれば、病気であることもわからず、本当の幸福、本当の有意ある前途の達成、豊かな情緒生活、のどかなみのりの多い老後の生活をつかみそこなっていることが自覚できない。創造的で美的に生き、人生に感動を覚えることがどれほど素晴らしいものかを知らずにいる。

アブラハム・H・マスロー「完全なる人間」p10

より多くの人が自身の人格に向き合い個人の本質的特性を伸ばしより良い人生を目指すべきであると筆者は主張します。

人格の問題が、症状がある人に限定されないということを主張することで、健全の心理学さらには本書の内容多くの人に活用でき適用範囲の広さを強調することを意図した記述であると捉えています。

実際に健全の心理学が、より良く生きるための知見を提供できるのであれば、多くの人が恩恵を得られる心理学といえるでしょう。

以上、第1章の内容を整理しました。この章と次の第2章は本題に入る前に議論の対象を拡大する下準備という立ち位置になります。

第1章は精神的本性という、本書の内容を読む上で大事な概念が説明されているため、丁寧な整理を目指しましたが、皆様の理解の参考になる内容となっていれば幸いです。

それではまた次の記事で!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA