マスロー「完全なる人間」を図を交えて整理してみる_11

どうもです!アブラハム・H・マスロー氏「完全なる人間-魂のめざすもの」をテーマとして、読書日記をまとめています。

第7回から第Ⅲ部「成長と認識」第6章「至高経験における生命の認識」に入り、前回まで具体的に至高経験の特徴その経験を人がどのように認識するかというテーマを扱いました。

今回は第6章のまとめ部分になる、「自己実現の再定義」「外的妥当性の問題」「至高経験の残効」を扱います。

それでは早速本題に入りましょう!

自己実現の再定義

自己実現といえば筆者の有名な欲求階層説において、最上位に設定された欲求です。

この章のテーマである至高経験において、どのような認知・経験がされるかをここまで扱ってきました。

そしてその至高経験において、自己実現と同様の特徴を示すことを筆者は指摘します。

これらはかれの最も幸福で感動的な瞬間であるばかりでなく、また最高の成熟、個性化、充実の瞬間-一言でいえば、かれの最も健康な瞬間-でもある。

アブラハム・H・マスロー「完全なる人間」p123

その中で筆者は自己実現を一部の人のみが達成できる人生の静的な到達点という印象付けを避けるため、自己実現の再規定を試みます。

そこでは、人の力はとくに有効に、また非常に快適なかたちでもって結集されるだろうし、かれは一層統合され、分裂が少なく、経験に開かれ、特異的で、まったくのところ表情豊かで、自発的で完全に機能し、創造に富み、ユーモラスで自我超越的で、自己の低次欲求より独立する等々になるのである。かれは、(中略)真に自己自身になり、完全にかれの可能性を実現し、かれの生命の核心に接するようになり、より完全な人間となるのである。

アブラハム・H・マスロー「完全なる人間」p123-124

筆者がどのように自己実現を考えているのかが読み取れる箇所です。

本書で筆者はこの状況が静的ではなく動的なものと主張しており、本章でも自己実現をした人は常に自己実現の状態にいるわけではなく、このような状態となる程度と頻度が高い人であると説明します。

この再規定は自己実現をより身近で考察しやすい対象とするとともに、「自己実現する人は普通の人と全く異なる人」という二律背反ではなく、連続体のグラデーションとしての網羅的な表現を可能にする効果があると感じます。

K
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仙人のような存在だとすると現実的でない気がして目指そうとする動機も起きにくいですね・・・。逆に健全な瞬間が多い状態と考えると徐々に近づけそうに感じます!

外的妥当性の問題

可能性の認知は実現を促す

本章は至高経験における「認識」に焦点を当ててきました。ここで筆者は主観に依存する認識という現象がどれだけ妥当であるかに注意が必要と主張します。

至高経験における認知の特徴は、協力者からの主観的な回答を元に整理されてきましたが、彼らが経験・認識したという回答は、そのような体験が本当に存在することの確実な立証とはならない点に触れます。

筆者は主観による認知の不確実性を指摘しますが、その一方で認知自体の力にも言及します。

例えば可能性を認識すること自体実現を促す効果があることを筆者は主張します。

例示として、自分の妻を美しいと信じている夫と自分の夫を勇敢と信じている妻は互いの美しさと勇敢さをある程度実現することを紹介します。

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あると信じることでその存在をより丁寧に観察するため見落としにくくなりますし、周囲からの期待により潜在能力が引き出される場合もあるでしょう。

勿論信じれば全てが叶うわけではないですが、信じる者は救われるのように、認識自体が事実に影響を与える可能性が想定されます。

至高経験と現実認知

また、認識と事実の乖離を生むケースとして、「恋は盲目」とあるように、ありもしない特性や可能性を認識しているケースも存在します。

認識というのは色んな要素が混じるので、理解が非常に難しいテーマとなります。

認知者の心理学的健康状態により認知の精度も左右されます。その観点で理想の健康状態に近い、至高経験や自己実現の状態で認知の精度が最大に近づくというのが筆者の主張となります。

一方で、至高経験や自己実現の状態だからといって、通常より精度が高いというのみで、認知が完璧となるわけではないという点にも注意が必要でしょう。

筆者は今回根拠としたアンケートは、注意深い計画的な科学検証にはなりえないことに触れつつも、その結果と考察に価値が無いわけではなく科学検証の結果と組み合わせることで研究の正確性を高められると主張します。

至高経験の残効

至高経験が終わった後に残る効果があり、それは経験を有意義なものとすることを筆者は本章の最後に紹介します。

これはこれまで整理してきた至高経験中の体験とは別に加わる影響となります。事後の影響となるため、認知の影響を受けにくく検証しやすいものであると筆者は主張します。

アンケートへの協力者やそのほか研究者の主張との合意点を元に、下記のような残存効果があると筆者は主張します。

  1. 至高経験は、厳密な意味で、症状をとり除くという治療効果をもつことができ、また事実を持っている。わたくしは少なくとも、神秘的経験あるいは大洋的経験を持つ二つの報告-一つは心理学者から、いま一つは人類学者から-を手にしているが、それらは非常に深いもので、ある種の神経症的症状をその後永久に取り除くほどである。
  2. 人の自分についての見解を、健康な報告に変えることができる。
  3. 他人についての見解や、かれらとの関係を、さまざまに変えることができる。
  4. 多少永続的に、世界観なり、その一面なり、あるいはその部分なりを変えることができる。
  5. 人間を解放して、創造性、自発性、表現力、個性をたかめることができる
  6. 人は、その経験を非常に重要で望ましい出来事として記憶し、それを繰り返そうとする
  7. 人は、たとえそれが冴えない平凡な苦痛の多いものであったり、不満にみちたものであったりしても、美、興奮、正直、遊興、善、真、有意義といったものが存在が示されている以上、人生は一般に価値あるものと感じられことが多いのである。つまり、人生そのものが正当なものとされ、自殺や死の願望はそれほどあり得ないこととなる。

精神面での健康に繋がる認識や記憶を前向きなものに変える人間関係をより良いものにする自分らしさに近づくといった多様な効果に繋がるというのが筆者の主張です。

最後の7番について、美、興奮、正直、遊興、善、真、有意義といったものの存在はまさに生きがいに該当し、至高経験には生きがいを強める効果があると読み取ることができます。

以上、非常に長くなってしまいましたが、第6章「至高経験における生命の認識」でした。

至高経験において体験者がどんな経験を得て、それをどのように認識するのかについて整理してきました。

本書において至高経験は最もページ数が割かれており、筆者としても重要なテーマであることがうかがえます。

次回の第7章も至高経験が関連する章で、同一性という別の角度から至高経験を深堀していきます。

今回の第6章と組み合わせることで筆者の提唱する至高経験の解像度を上げられるでしょう!

それではまた次の記事で!

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