どうもです!アブラハム・H・マスロー氏の「完全なる人間-魂のめざすもの」をテーマとして、読書日記をまとめています。
前回は第4章「防衛と成長」について整理し、低次で基本的な欲求である安全欲求と高次で自己実現の原動力ともなる成長欲求の対立する関係性を整理しました。
今回はその議論の延長線上で、成長欲求の中の知的欲求に焦点を当てた第5章「知ろうとする欲求と知ることのおそれ」を整理していきます!
人は安全が確保され健康な状態では自発的に成長を目指すのと同様に、新しい情報を知りたいという知的好奇心・知的欲求が備わっています。
しかし、成長欲求と同様に知ることには恐れがあり、その恐れにより人は知ることを避けようという衝動が生まれます。
この恐れとはどのようなメカニズムによるものかを中心に解説した章となります。
知ることのおそれ、知ることの回避、知ることの苦痛と危険
知ることの恐れの動機
筆者は本章の最初にフロイトの知見を引用しながら、知ることに対する恐れが人の内面と外界に存在することを指摘します。
われわれの立場からみて、フロイトの最も偉大な発見は、多くの心理的疾患の主な原因が、自己-自己の情緒、衝動、記憶、能力、可能性、運命-を知ることのおそれにあるとしたことである。われわれは、自己を知ることのおそれが、外界のおそれと同形で、平行していることが極めて多いのを見出すのである。
アブラハム・H・マスロー「完全なる人間」p76
そして内面と外界の恐れの類似性と互いの関係性を考慮し、これらを区別せずに取り扱うことを断ります。
次に筆者は知ることによる恐れは、自負心・自己に対する愛情や尊厳を守る防衛目的で生まれることを主張します。この防衛反応は下記のように例示されます。
- 自分を劣等、虚弱、無価値、悪、恥ずべきものと感じさせる知識の遮断
- 不愉快や危険な真実の回避を目的とした自己像や理想像の抑圧等による防衛
- 心理療法において真実を示そうとする治療者への患者の抵抗
これらの反応は自分に不都合な情報を遮断することによる防衛を目的としたものになります。
情報は時に私たちを傷つけます。例えば優れた他者との比較に晒された場合、自身の劣等や敗北を感じるきっかけとなり、落胆が生まれます。その観点に限定した場合、井の中の蛙状態でいたほうが、心の平穏状態は保たれるかもしれません。
例示した「他者との比較」は満たされない欲求の暴走を生み、人生の不満の原因となるので個人的には推奨しません。他人のやり方や考え方を参考にするという目的を絞ったアプローチによる視野の拡大が適切でしょう。
また、自分の理想像を考えることは長期的な目標設定に重要な時間ですが、現実とのギャップを自覚することになるため、自身の至らなさや努力不足を痛感する場面も生みます。
更に心理療法では、患者の状況にあわせて根本的な解決を目指すために目を背けてはいけない真実を治療者は掲示しますが、患者はその情報から逃げようと様々な抵抗を示すことが観察されています。
このように人には知的欲求と反発する防衛本能が存在します。
ここで筆者は知ることからの回避は、同時に個人の成長を避けるという側面がある点を指摘します。
成長を通した自己実現のためには、視野と可能性を広げるための外界の情報と理想像や長期的な目標を設定するための自身との対話との会話が欠かせません。
才能を発達させ自身の可能性を最大化させ、自己実現を達成するためにはこれらの恐れを克服して知的欲求を維持することが重要な鍵となります。
弱者と知ることのおそれ
次に筆者はこの知ることへの恐れは弱者で特に顕著であることを指摘します。
前回の成長欲求と相反する安全欲求においても、安全の確保に周囲の協力が必要な子どもの方が、安全欲求確保のために他者の意見を優先した選択肢を取ろうとする衝動が生まれる点が指摘されましたが、似たような傾向が知的欲求にも表れます。
特に本章では筆者は、親や教師、上司、雇用者を含めた権力を有する存在に見られる反応に着目します。
例えば、子どもの好奇心は成長の源泉となりますが、親にとっては厄介な存在にもなり得ます。
好奇心から生まれた連続した質問は親の知識不足を顕在化させるため、親は不快とおそれを感じる可能性があります。
ここで防衛本能が強く働いてしまうと、子どもの質問を禁止し、好奇心を封殺しようとしてしまいます。
また、強い実力や知識を持つ生徒や部下の存在は、教師や上司にとって自身の地位や威厳を脅かす恐怖の存在となりえます。
そのため、対象への情報の遮断やその存在の排除、冷遇したいという衝動が生まれる原因となってしまいます。
このような上からの衝動に加え、相対的な弱者にとって自身の安全に影響する存在の意見や信頼というのは重要になります。
そのため、弱者は他者の目を気にして好奇心を育む活動を敬遠し、知的欲求を自ら封印しようとしてしまいます。
筆者は知ること自体が自己主張の行為になり得るため、強い上下関係がある中では知識や得ること自体が危険となることを指摘します。
補足1:日常生活への応用_心理的安全性確保
このような安全への本能による衝動を知ることで、家族、学校、会社、組織において、自身や相手の知りたい欲求を封殺しようという自己防衛の衝動に気付きやすくなります。
この衝動に気付くことで、自身の本能と切り分け、長期的に必要な対応・振る舞いを選択しやすくなることが期待できます。
特に自身の方が強めの力関係を持つ時は、自身の振る舞いにより相手を封殺してしまう影響力が強くなるため特に注意が必要となり、メンバーの心理的安全性を確保した環境を整備することが求められます。
アイディアや意見を自由に交換するために必要なものとは?-読書日記補足2:日常生活への応用_学習領域の確保
また、自身の成長という観点で最近の理論等と紐づけてみましょう。
成長やパフォーマンスを高めるためには、快適領域・学習領域・危険領域という考え方が参考になります。
- 快適領域:自身の能力で問題なく対応できる範囲。安心欲求を満たすが、挑戦や刺激は少ないため自己成長しづらい
- 学習領域:自身の能力より難易度が少し高い範囲。高いパフォーマンス、成長が期待できる
- 危険領域:自身の能力を大きく超え、周りからのサポートも得られづらい範囲。安全欲求が強くなるため、成長・知的欲求が抑圧される。
安全欲求にのみに動機づけられると居心地の多い快適領域に居座りがちになります。しかし、快適領域では挑戦や刺激は少ないため中々成長は見込めません。
成長を促進するには自身のレベルを適度に超えた挑戦により、学習領域にいる時間を増やすことが重要と言われています。
学習領域では難易度とスキルとのバランスが取れており、フロー体験による至高体験や挑戦・成長の楽しみを得られます。これらの経験はその後の挑戦のモチベーションを高める効果も期待できます。
一方で過度な難易度で、周囲のサポートも期待できない危険領域では、強い不安・恐怖・ストレスに見舞わられ、安全欲求が増強し成長・知的欲求が抑圧されてしまいます。
そうなると、挑戦へのモチベーションの消失によるパフォーマンスの低下のみでなく、心身の不調まで懸念されます。
学習領域ではいつでも快適領域に戻れる範囲ということも重要であり、一定の安心感を持って挑戦に集中することが可能となります。
至高体験を生むフロー体験については下記記事もご参照ください!
フロー体験で普段の活動による楽しみと創造性を増す1/5:読書日記不安解消のための知識と成長のための知識
続いて、筆者は知識が成長のために必要な要素であることを下記の通り主張します。
自分自身のために、本当の喜びから、知識や理解それ自体のもつ素朴な満足から、知ろうとする欲求について話してきた。これは人を一層大きく、賢明で、豊かに強く、進歩し、成熟した存在とする。それは人間の可能性の実現であり、人間の能力によって予め示されたその運命の充実をあらわすのである。
アブラハム・H・マスロー「完全なる人間」p81
しかしその一方で、前回で成長欲求について記載した通り、基本的な欲求である安全欲求は、好奇心と知的欲求より優勢であることを筆者は指摘します。
実際の研究において、母親から離れ安心感を失った子どもは不安の解消に一心不乱となるため好奇心を失い、安全が確保できるまで知的探索を再開出来ない様子が観察されています。
また、成熟した大人は不安への挙動を隠す術を身に付けるため、このような反応は直接確認しにくくなるものの、不安自体が解消されるわけではなく根本的な解決にはならず、さらに自分が恐れていることまでも自覚できなくなる場合があることを筆者は指摘します。
不安を自身で認識できないと、不安への対処の必要性の自覚や解決するための取っ掛かりもなくなるため、根本的な解決の難易度は更に高まります。
しかし、ここで筆者はこの不安を無害なものにするためには、知ることが重要となることを主張し、知ることが持つ異なる動機による2つの役割を示します。
- 前向きに成長する働き:好奇心、成長への欲求・実感、理解することの喜びによる
- 不安を解決し、変化に対応する働き:安心感の確保、平穏な気持ちの回復
前者は研究者や学者の知的探求心がイメージしやすい働きで成長の原動力となります。
後者は物音がした地下室を確認して問題ないことを確認しようとする、不安を解決するために必要な働きとなります。
後者では気にしないように意識を一時的に背けることはできるかもしれませんが、不安感は完全に解消しません。
不安を根本的に解消するためには、勇気を持って不安の解決に必要な情報を探索することが重要となります。
「不安を解消したい」という安全欲求に芽生える衝動により、不安が解決される場合もあります。しかし、知的欲求から動機づけられる場合の方が成長を含めたより好ましい恩恵が得られると筆者は取得します。
ときには安全欲求が、ほとんどまったく認知欲求をして、みずからの不安をやわらげる目的に向かわせることがある。これに対し、不安から解放された人は、大胆で勇敢で、知識そのもののために探求し、理論化することができる。後者はたしかに一層真理、つまり物事の真の性質に迫りやすいと考えてよい。
アブラハム・H・マスロー「完全なる人間」p83
そのため防衛本能によるその場しのぎの対症療法や消極的な解決ではなく、知的欲求に動機づけられるその後の問題解決にも役立つ成長や知識の拡大を伴う積極的な解決が推奨される、というのが筆者の主張となります。
責任の回避としての知識の回避
次に筆者は不安による好奇心の消失以外の知識の回避について言及し、フロイトの理論も引用しながら、知識と行為と非常に密接に関連していることを主張します。
知識と行為の密接な関連とは、知ると同時に取るべき行動が反射的に浮かぶことを指していると読み取りました。
人は問題に気付けば対処法を自然に考え始めますし、自分の理想と向き合えば自分に不足していることやするべきことに目が行きます。
人は知ることで自分がやらなければいけないことを意識し、行動しようという動機が生まれます。
この時、正邪、善悪を知り、これを自由自在に働かせると思われる健康な人であれば、決断への葛藤もなく自発的に行動へ移せます。
しかし、問題を解決する能力が伴わない場合、その問題の認識自体を拒もうとします。問題を知れば、自分の無力さや努力不足、劣等感と共に、出来もしない行為への葛藤に苦しむ原因となるためです。
問題を知ってしまえば対処や検討をする責任を負うため、この責任から逃れるために知ることからも逃れようという衝動が生まれます。
筆者は下記の通り主張します。
知識と行為とのこの密接な関係は、知ることをおそれる一つの原因が、深層で行為をおそれ、知ることがもたたらす結果をおそれ、その危険な負担をおそれているところにあるとの解釈を容易にさせてくれるのである。
アブラハム・H・マスロー「完全なる人間」p85
前述のような安全欲求による好奇心の消失のみでなく、知ることによる責任から生まれた恐れという、知識を回避しようという心的メカニズムがあると筆者は主張します。
終わりに
以上、第5章「知ろうとする欲求と知ることのおそれ」を整理しました!
人は危機的状況に陥れば、状況を打破しようと必要に迫られ情報を調べるようになるという考えもありますが、筆者はこの主張を極端な見解であると否定します。
むしろ、危機的状況や知ること自体から生まれる不安により、知識を遠ざけようとする衝動も生まれるという筆者の主張を整理できました。
成長動機と同様に、安心が確保された状況で初めて人は知的欲求に動機づけられます。
そのため、人に情報収集や勉学を推奨する場合は、危機感を煽るのではなく、人の勇気と自由と大胆を促進することが重要であるという学びになりました。
第5章で第Ⅱ部「成長と動機」は終了となり、次回からは第Ⅲ部「成長と認識」に入ります。
それではまた次の記事で!