読書日記-有名な小説「罪と罰」を読んでみる(下)後半1

引き続きドフトエフスキー「罪と罰」(岩波文庫)を読んでいきます。今回はいよいよクライマックスの下巻、さらにその後半の1です!

気になるフレーズが多すぎて、この導入部分を書いている時点で、果たして1つの記事にまとめられるのかがとても不安です。


そして、不安が的中して、さらなる分割が必要となってしまいました・・・。。

読み返す時用に気になる部分に付箋を付けているのですが、15か所ぐらいあって・・・。ただでさえ長くなりそうなので、今回もささっと本題に入っていきましょう!

登場人物:今回の記事に関係する人と情報に限定(岩波文庫より引用)

  • ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフ:前編の主人公。貧しい大学中学生。
  • プリヘーリア・アレクサンドロヴナ:ラスコーリニコフの母
  • アヴドーチヤ・ロマーノヴナ:ラスコーリニコフの妹。 ドゥーニャは愛称
  • セミョーン・ザハールイチ・マルメラードフ:ラスコーリニコフが酒場で出会う退官官吏
  • カチェリーナ・イワーノヴナ:マルメラードフの後妻
  • ソフィア・セミョーノヴナ・ マルメラードフ:マルメラードフの娘。愛称ソーニャと呼ばれることもある。
  • ドミートリイ・プロコーフィチ・ラズミーヒン:ラスコーリニコフの大学の友人
  • ピュートル・ペトローヴィチ・ルージン:ドゥーニャ(主人公の妹)に求婚する弁護士
  • アンドレイ・セミョーノヴィチ・レベジャートニコフ:ルージンの友人
  • アルカージイ・イワーノヴィチ・スヴィドリガイロフ:地方の地主。ドゥーニャが家庭教師として住みこんだ家の主人
  • ポルフィーリイ・ペトローヴィチ:予審判事

気になったフレーズ

第6部 : ポルフィーリイ の来訪、スヴィドリガイロフとの会合、ドゥーニャとスヴィドリガイロフ密室にて、スヴィドリガイロフの徘徊と旅立ち

p178:主人公の葛藤、奇妙な日々

だが問題は、ここ何日か、ほとんどいつもひとりでいるくせに、どうしても彼には、自分がひとりだという実感がわかない点だった。(中略)ところが、さびしい場所へ行けば行くほど、かえって強く誰かが身近にいるような不安な意識をそそられる。(中略)そこで早々に町へ帰って群衆にまぎれこみ、(中略)こういうところだと、なぜか気持ちが楽になり、孤独感を味わえるのである。-主人公

罪と罰 下巻

スヴィドリガイロフがソーニャの内緒の話、計画の真実を盗み聞きしていたことを知った主人公は、不安により夢遊病のような日々を過ごします。その中での彼の心情を説明した箇所です。

この「誰か」というのが、特定のだれかを指しているのかは読み取れませんでした。ソーニャか、家族か、それとも不安の原因のスヴィドリガイロフか。ほかの方の考察も参考にしたいなと感じました。

気になった理由としては、後半の部分で、人が自分のアイデンティティを感じるには他者が必要というところを示唆していると感じたためです。そのアイデンティティがたとえ孤独であっても、それを感じるために人が必要だとすれば、非常におしゃれな表現だと感じました。

p221: ポルフィーリイの来訪

ああいう一歩を踏み出した以上、心をまげないことです。それこそ正義ですよ。そこで、正義の要求することを実行するんです。(中略)しかし、かならず生をもたらしてくれますよ。そのうちには、自分から好きになりますよ。あなたにいま必要なのは空気なんです、空気、空気なんです!-ポルフィーリイ

罪と罰 下巻

主人公に自首を薦めるポルフィーリイのセリフです。

空気というキーワードは中巻以降で出現頻度があがります。

当初は発狂を抑えるために深呼吸を薦めているのかなと吞気に考えていましたが、ここでの酸素は少なくともそのような意味ではないようです。

悩まず自分の道を進むためのエネルギーであったり、狭まった視野を広げるための刺激であったり、それとも新しい世界における空間を指していると読み取ることもできますかね?

p223: ポルフィーリイの来訪

ところがあなたはもう自分の理論を信じておられない、じゃ、何を持って逃げるんです?それに逃亡生活に何があります?逃亡生活というのは、いやらしい、苦しいものだが、あなたが何より必要としているのは、生であり、確固とした立場であり、自分のものである空気なんですからね。-ポルフィーリイ

罪と罰 下巻

引き続きの場面でのポルフィーリイのセリフです。

外から考えればシベリアでの不自由な牢獄生活より、逃亡生活の方がマシなはずですが、主人公自身のために自首を選ぶべきと説得します。

牢獄での生活の方が主人公のためとなるという部分が、逆説的で印象に残ったためピックアップしました。

主人公が心を動かされている点を見ると、ポルフィーリイは主人公の人格のもっともの理解者なのかもしれません。


ポルフィーリイが本心でそう考えているのか、自首に誘導するためにセリフを考えているのかは読み取れませんでしたが、この解釈によってもこのセリフの印象は変わりますね。

また、「必要としてるのは~」というセリフは、地に足を付けて自分の現実の人生を生きろというメッセージともとらえました。

P265:主人公とスヴィドリガイロフとの会合

人間だれしも、自分のことは自分で始末をつけるものでしてね、自分をあざむくこともっともたくみな人間が、もっとも愉快にくらせるんですな。は!は!いや、あなたはいつからそんな堅物になられました?お手やわらかに願いますよ、私は罪深い人間ですからね。-スヴィドリガイロフ

罪と罰 下巻

主人公がソーニャへの罪の告白を盗み聞きしていたスヴィドリガイロフの動向をうかがうシーンでのセリフです。

悪の存在として描かれるスヴィドリガイロフ、過去も現在も共に倫理的に問題となる行動が多いですが、物語の登場人物としては魅力を感じました。

それはどこまでも欲望に忠実であり、道は正道でないにしろ一貫した生き方をしていると感じたためです。


何が正道かといのも簡単に決めていい問題ではないかもしれません。おそらく彼にとっての正義を貫いているでしょうし・・・。

このセリフからは、このスヴィドリガイロフが主人公との対比として描かれているのではと印象に残ったためピックアップしました。

自分の欲望と本能に忠実な生き方という過程、ソーニャの妹たちを孤児院へ寄付金とともに案内することで本質的に救うという成果、物語におけるそれぞれの最後の決断はどれも対照的に映りました。

主人公は自分の理想に固執し、彼の進むべき道から外れてしまったように感じます。


物語内の主人公の善行といえるカチェリーナに渡した20ルーブリは、結果的に一時的なお金としてすぐに消費され、後に続く悲劇のトリガーともなりました。

ここでいう「自分を欺く」とは、自分の本能か理性かで解釈が変わりそうです。

新たに紹介された娘との結婚をするのかという主人公の問いへの回答を考えると本能と考えることもできそうですが、私は続く「堅物」「罪深い人間」というキーワードから理性を指していると考えます。

もしくは、各女性の前での立ち振る舞いの使い分けというペルソナを指しているのかもしれません。

このように色々な解釈がありそうな点も、興味深いフレーズでした。

P300: スヴィドリガイロフの策略により密室にドゥーニャが閉じ込められるシーン

それで・・・・・愛せない?・・・・・いつまでも?-スヴィドリガイロフ

いつまでも!-ドゥーニャ

スヴィドリガイロフの心の中で、おそろしい無言のたたかいの数秒が過ぎた。(中略)足早に窓のほうへ行って、その前に立った。さらに数秒が過ぎた。

鍵です!(中略)お取りなさい。早く出ていってください!・・・・・-スヴィドリガイロフ

罪と罰 下巻

主人公の罪の告白を偶然盗み聞きという幸運も活用し、ドゥーニャへ自分のものになるように迫るシーンの最終局面のセリフです。

スヴィドリガイロフの誘導に乗り、密室に閉じ込められたドゥーニャ。ここでスヴィドリガイロフは乱暴ではなく、あくまで兄を救うことを口実にドゥーニャから自分でスヴィドリガイロフのものになることを選択するように迫ります。

ドゥーニャは所持していた拳銃を使用し抵抗しますが、相手を撃つことができずに最後の頼みの綱を放り投げてしまいます。このセリフはその直後のものです。

色々策を練りながら、ペテルブルグまでやってくるほど固執していたドゥーニャを、最後はあっさりと解放してしまうというスヴィドリガイロフの行動の揺らぎが印象的でした。

この行動の揺らぎは何が原因でしょうか。

本書に出てくるキーワード「ふみ越える」を踏まえながら見ると、絶望的に追い込まれた状況でも一線をふみ越えず自分の道に留まるというドゥーニャの選択への驚き、そして、ここまでしても自分になびく気配が無いドゥーニャへの強さへの絶望がトリガーとなっていると考えます。

様々な手段で女性を自分のものにしてきたスヴィドリガイロフですから、その自信が崩されたという点も影響があるのかもしれません。

P317:スヴィドリガイロフの悪夢

奇妙で滑稽なのは、おれがだれにたいしてもまだ強い憎しみを持ったことがない点だ。仕返しをしてやろうという気にも、とくになったことがない。しかし、こいつは悪い徴候だぞ、悪い徴候だ!論争もきらいださし、ものごとに熱中したこともない、これも悪い徴候だな!-スヴィドリガイロフ

罪と罰 下巻

スヴィドリガイロフはドゥーニャから拒絶を受けたその夜、1番中悪夢を見ます。そのさなかでのセリフです。

スヴィドリガイロフとの比較により、主人公の思考や性格、生き方を強調させる役割があると考えられるので、スヴィドリガイロフがどのような自己分析をしているのかこの悪夢が何を示唆しているものなのかを考えるのはこの物語の解釈で重要な点となるでしょう。

スヴィドリガイロフは自分の望む人生を生きていると感じていたので、自分の性向を悪い徴候と評しているのは意外でした。

一方、ドゥーニャに対しては執着を示していたので、スヴィドリガイロフにとってドゥーニャはこの悪い徴候を晴らしてくれる貴重な存在であったのではと感じます。

その分、ドゥーニャを手に入れられないという結末は大きな絶望であったと予想できます。

ここも、救いを求めて同じ道を行くソーニャという伴侶を手に入れた主人公と対照的と感じました。

その後の悪夢では少女が登場し、スヴィドリガイロフはこれを保護し、世話を焼きますが、少女から淫蕩の表情を向けられ、激高するところで目が覚めます。

彼の行動のすべては、少女の保護という善行であっても淫蕩を目的としていることを示唆しているのではと感じました。

P332:母との最期の会合

それでも彼は、はじめて自分の書いたものが活字になったのを見るときに著者が感じる、あの奇妙な、甘酸っぱい気持ちを味わった。(中略)だが、それも一瞬のことだった。(中略)ここ数カ月の彼の精神的たたかいが一時に思いだされた。嫌悪と悔恨の入りまじった気持で、彼は論文をテーブルに投げ返した。-主人公

罪と罰 下巻

母と会合した際に、自分の掲載された論文を始めて目にしたときの主人公の様子です。

思わず感動を受けている主人公の人間らしさが印象的でした。しかし、その後、彼は論文を投げ返してしまいます。

ここは、自分の達成した実績により、もう戻れない自分の人生や道への後悔が色濃くなったためでしょう。

P343:妹との会合

ぼくはそんな罪のことは考えない、それは洗い清めようなんて思わない。どうしてみなは寄ってたかって、「罪だ、罪だ!」とぼくを小突きまわすんだ。いま、ぼくにははっきりわかったよ、ぼくの弱気がどんなにばかげたものかだったのか、いまになってようやくわかったんだ、この必要もない恥辱を受けに行くいまにになって!-主人公

罪と罰 下巻

自首により罪が経験されるのではというドゥーニャの発言に対する主人公の返しです。

ドゥーニャとしては、自分の犯した罪を反省し償うために自首しに行くと解釈していましたが、主人公はそもそも自分は自身の犯した犯行は罪に該当せず、自首に行くのは自分の罪を償うためではないと否定します。

その後の会話や主人公の脳内会話でも、自首に行くことは決めたようですが、なぜ自分がその選択をしたのかという理由は自分でも理解できていない様子がうかがわれます。


この発言が本当に主人公の本心であるかは検討する必要もありそうです。

引き続き独善的な思考であり、彼の行為は許されないものですが、罪とは社会や司法で決められたものが絶対解で他の解釈は無いのか?また、刑罰を受ければそれで罪が清算されるのか?、という問いを考える必要があるという気づきを得たセリフでした。

正直、司法を専門としない私は何が罪か、どのような罰が適切であるかという点を考える時間を持たず、これからも多くの時間を割けないと思います。

それでも、本書をきっかけに、罪や罰の定義を世論や司法に放任することに問題はないのか他人事にして盲目的に生きていてよいのかという視点を持っていこうと考えます。

P343:妹との会合

でも、こんなたわけた試練が何に、何になるんだ?それが何になる、二十年の徒刑を終えて、苦痛と愚劣さとに押しつぶされ、老人くさく気力もなくしてしまったぼくに、いまのぼくよりもしっかりと自覚ができるというのか、そうなったら、ぼくはなんのために生きるんだ?それをどうしていまぼくは、そんなふうに生きることに同意するんだ?-主人公

罪と罰 下巻

ここは特に罰を受けてまで生きる意味その道を自首することにより自ら選ぶ理由を自問自答しているようなセリフです。

主人公は、もう片方の選択肢としての川への身投げに踏み切れなかったことを含め、その理由をじぶんのくだらなさにあると結論付けます。自分がふみ越えられる存在でないことを強く痛感してしまったのでしょうか。

主人公は身投げではなく自首を選んだことに意味があったのかというのも、読者として着目するべきポイントとなります。

ここまでですでに5000字を超えて6000字弱になってしまったので、続きはその2へ移ります。

現在の主人公の自首への決意は揺るがないのか?何かトラブルは起きないのか?この物語はどのような結末を迎えるのか?主人公は最終的にどうなるのか?

次こそ本当にクライマックスです!

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