前回の記事に引き続き、今回も扱うのは渋沢栄一氏の「論語と算盤(そろばん)」 (角川ソフィア文庫)です。
今回読んだバージョンが発行されたのは2008年なので、現代でも需要があると見込まれた一冊であることがうかがえます。
前回は実用書という側面でポイントをピックアップしましたが、今回は純粋に読書をしていて気に入ったフレーズとそこから感じ考えたことをまとめていきます!
前回は外向けに全体像の考えをまとめたのに対し、今回は内向きに要点の理解を深めるための深読日記となります。
皆様の本書への興味を増すようなフレーズのピックアップを目指します。
今回ピップアップした内容だけでも参考にできるポイントがきっと見つかるはずです!
概要や渋沢栄一氏の紹介は 前回の記事にゆずり、早速内容に入っていきましょう!
「論語と算盤」で気になったフレーズ
士魂商才(処世と信条)
何でも人を論ずるには、その時代というものを考えなければならぬ。孔子は周の代の人であるから、十分に露骨に周代の悪しきことを論ぜられないから、美を尽くせりまだ善を尽くさずというように、婉曲に言っておるのである。(中略)世人が孔子の学を論ずるには、よく孔子の精神を探り、いわゆる眼光紙背に徹する底の大活眼をもってこれを観なければ、皮相に流れる虞(おそれ)がある。
論語と算盤 p26
これは学んだ内容を自分の行動や習慣に活かす上で重要な視点ですね。
ただ言葉をそのまま受け取るのではなく、相手の時代背景や立場まで考慮し、意図や本質まで深く理解する必要性を説く箇所となります。
ここでは、本質をしっかり読み取れば孔子の教えは近代(現代)でも活用する価値が高いと渋沢氏は主張します。
この視点がないと、折角の先人の知恵も、過去や異国、違う人の立場だから役に立たないと遮断してしまい、自分の知恵として吸収できません。
逆に言葉をそのまま受けとるのも危険です。強硬政策が求められた戦乱時代のマキャベリの「君主論」の思想を現在の社会でそのまま実施しようとすればハラスメントで訴えられかねません。
このピックアップした箇所は、読書をするときのみでなく、他の人の意見や行動を参考しようとするすべての場面で応用できる重要な思考方法であると感じました。
ちなみに「眼光紙背に徹す」とは書物を読んで、字句を解釈するだけでなく、その深意までもつかみとること。注意力や理解力が鋭いことを指し、紙の裏まで見通すような深い読書を薦める江戸時代の故事であることを今回知りました。(参照:故事成語を知る辞典)
大立志と小立志との調和(立志と学問)
自分の長所とするところ、短所とするところを精細に比較考察し、その最も長ずる所に向かって志を定めるがよい。またそれと同時に、自分の境遇がその 志を遂ぐることを許すや否やを深く考慮することも必要で、(中略)思うようにやり遂げることは困難であるというようなこともあるから、これならばいずれから見ても一生を貫いてやることができるという、確かな見込みの立ったところで初めてその方針を確定するがよい。
論語と算盤 p73
渋沢氏はこの章で、自分の大立志、人生の目標を立てることの重要性を説きます。
その大立志は自分の能力や境遇に基づくものとし、一生貫くことができるかわかるまで見つめなおし、見込みが立った時期にその方針を確定するべきとしています。
このバランス感覚は見事だと感じました。
人生の目標を持つことが重要だとわかっていても、自分に出来ることややりたいことがまだわからないので目標を立てられないという方は自由度が増した現代であるからこそ少なくないでしょう。
そのような悩みに対し、大立志(人生の目標)を持つのは大事であるが、見込みが立つまでは確定する必要はないと、暖かさを感じるメッセージが記されています。
目標を持てとただ急かすのみであっては、間違った方向への後押しとなりかねません。
この辺りのバランスの取れた考察は中庸を大切にする筆者だからこそと感じます。
また、ピックアップした箇所の続きで、日々の工夫や取り組みという小立志がこの大立志に沿う範囲内であるかについての注意を促します。
色んな事業をやりながらも、国の繁栄のためという目標に対して、ブレが見えない渋沢氏の考えであるからこそ説得力があるメッセージですね。
何をか真才真智という(常識と習慣)
しかるに世間はこの反対に走るもので、チョッと調子が宜いと、すぐにわが境遇を忘れて 分量不相応の考えも出す。 またある困難のことに遭遇すると、わが位地を失くして打ち萎れてしまう。すなわち、幸いに驕り災いに哀しむのが、凡庸人の常である。
論語と算盤 p111
自分の境遇と位地を良く知って、調子の浮き沈みに影響されず、取るべき行動を選択することの重要性を説く中で出てくる文章です。
自分の経験で思い当たる節が多くあり、思わずドキリとしてしまったためピックアップしました。
調子が良い時こそ気を引き締める。逆境であるからこそ気持ちを入れて乗り越える。
実践するのは難しいですが、継続して復習することにより、この言葉をその場面で思い出し、自分の状態に気付く可能性を増やすことはできます。
効力の有無はその人にあり:(仁義と富貴)
かく論じ来れば、金は実に威力あるものなれども、しかしながら、金はもとより無心である。善用さるると悪用されるとは、その使用者の心にあるから、金は持つべきものであるか、持つべからざるものであるかは、卒爾に断定することはできない。金はそれ自身に善悪を判別するの力はない。
論語と算盤 p128
筆者が今日するポイントの1つとして、孔子は貧乏をすすめてはいなかった、つまり金儲けや商売を否定していなかったという見解があります。
ここは、論語と算盤(経営、商売)を調和する上で欠かせない前提なので、繰り返し出てくるポイントです。
その根拠の1つとなるのがピックアップした箇所であり、お金そのものに善悪があるのではなく、その使用者の使い方に依存すると説きます。
これは嫌儲によりお金を悪者とし、自らを幸福から遠ざけている人にも刺さるメッセージですね。
使用者である自分にある責任から目を背けることはできません。
お金を遠ざけるのではなく、使用者である自分の心を論語により修養し、善い方向へ導くというアプローチが現代の資本主義における人生との健全な向き合い方でしょう。
この熱誠を要す(理想と迷信)
この趣味という字を約めて解釈したならば、単にその職分を表面どおりに勤めて往くというのは、俗にいうお決まり通りで、ただその命令に従って、これを処して行くのである。しかし趣味を持って事物を処するというのは、わが心から持ち出して、この仕事はかくしてみたい、こうやってみたい、これをこうやったならば、こうなるであろうというように、種々の理想慾望をそこに加えてやって行く。
論語と算盤 p157
もしそのお決まり通りの仕事に従うのであったら、生命の存在したものでなくて、ただ形の存在したものとなる。
論語と算盤 p158
筆者は仕事の中に趣味を持つことの重要性を説きます。
ここでの趣味とは余暇に楽しむものではなく、仕事に対して自分の中での目標や挑戦、創意工夫を組み込むことで、仕事における楽しみや責任感を増して、仕事を充実度の高い取り組み、時間とすることを指します。
ワークライフバランスというと、プライベートを楽しむというライフの部分に目がいきがちです。
私はまさにこのタイプで、休みをしっかりとることや残業を減らすことに執着していました;
しかし、ワークライフバランスを高めることの最終目的が人生の充実であることを考えると、人生の多くの時間を占める仕事の時間を充実させる意義も高いというのは認めざるを得ません。
仕事で充実感を得る時間を増やすことは燃え尽き症候群を回避するためにも重要でしょう。
仕事をお金儲けの手段とし、趣味や副業で本当の自分の人生を表現するという生き方も十分魅力的です。
しかし、仕事を完全に受動的な作業の場としてしまうよりは、少しでも面白みや充実を感じる時間とした方が、人生の総合の幸福度は高くなります。
1/3が灰色で残りが虹色の人生よりは、1/3も彩があり残りが虹色の人生の方が輝きは強く感じるでしょう。
ここでは相対的な明るさという要素は考えないこととします。笑
人はそれぞれ様々な状況や環境で生きているので、全ての人が仕事の中での趣味を持ったり、全ての時間を充実したものにするのは難しいかもしれません。
しかし、充実を感じる時間を少しずつ増やしていくことは可能であると考えます。
例えば下記がアプローチの例となるでしょう。
- 現在の仕事の社会的意義や目的、なぜ自分が今の仕事を選んだのか理由を再確認する
- 仕事の中でのやりがいを自分にとってより充実なものに再設定する
- PDCAを回して自分の成長を実感できるようにする
- 指定された仕事にプラスαして、自分が関心のある取り組みを始めてみる
たとえ、単調な事務作業でも、自分で目標を設定することでゲーム感覚で楽しむことができます。
どうしても現在の仕事の場所ではそのような時間を見出せない場合は、自分にとって充実した時間を得るために環境を変えるためのモチベーションや選択のための基準とすることも可能です。
筆者の推奨通りに仕事の中に趣味を持つことは、社会への貢献度を増やすと同時に自分にとっての無為な時間を減らし、人生の充実度を高める上で重要な要素となります。
修養は理論ではない(人格と修養)
けれども空理空論に走ることは、最も注意せねばならぬ。修養は何も理論ではないので、実際に行うべきことであるから、どこまでも実際と密接の関係を保って進まねばならぬ。(中略)事実ばかりで満足とは言われず、また学理のみでは立つことができないので、この両者がよく調和し密着する時が、すなわち国にすれば富国強兵となり、人にすれば完全なる人格ある者となるのである。
論語と算盤 p201
勉強とは人生の充実のためにするものです。実践が伴わなければ意味がないというのは論語でも指摘されるポイントです。
実際に色々インプットを積んでも、悩んだり考えたりして行動やアウトプットに移せないのであれば宝の持ち腐れです。
どれだけ勉強をしても、それを実践していないのであれば、その発言も空論のようで説得力は出てきません。
その一方、がむしゃらに行動するのみで、振り返りもインプットも何もしないのであれば、リターンの小さい賭けの繰り返しで成長は無く、最終的な成功を掴むことはできません。
どちらか片方では足りず、筆者の指摘する通り、修養と実践が両者に影響を及ぼしあいながら両立して調和することが重要となります。
人生で何を重要とするべきかという基準は、単純であればあるほど、考える必要が減るのでで魅力的に映ります。
人が宗教を愛する理由の1つもここにあると思います。経典は生きる上での分かりやすい指針を提供しますし。
しかし、実際はそのような単純な唯一の基準というのは存在せず、複数の基準や方針を組み合わせて調和を取る必要があります。
さらに状況にあわせて、それぞれのバランスを調整する必要があります。
これは、まさに一朝一夕では実施は難しく、実践と修養を試行錯誤して組み合わせ繰り返しながら、少しずつ自分のものにしていくこととなるでしょう。
逆にこの観点が無いと、いつまでもその感覚を掴めずに極端な性向を修正することができません。
着実な成長を目指すための後押しとして自分の意識に強く刻みたくなったので、該当箇所をピックアップしました。
ここにも能率増進法あり(実業と士道)
時間を無駄に使わぬこと、かくごとくなれ、例の能率が如何にも増進するであろう。別に物を拵(こしら)える訳ではないが、つまり、われわれが時間を空費してるのは、丁度物を製作する場合に手を空しくしていると同じことであるから、これはお互いに注意して人間を無駄に使わぬはもちろんのこと、われ自身をどうぞ無駄に使わぬように心掛けたいと思う。
論語と算盤 p262
海外渡航中に筆者を待遇した外国人の無駄のない時間の使い方を例を出しながら、時間の使い方の大切さを説く章です。
ここでは経営者としての視点で、適材適所で人を配置する重要性を強調します。
時間というのは(寿命という上限は異なりますが)全人類平等の速度で消費される貴重な資源です。
自分の人生をより良いものに改善したいのであれば、効率よい時間の使い方を身に着け、無駄な時間を減らしていくことが重要です。
また最後の「われ自身をどうぞ無駄に使わぬように心掛けたいと思う。」という点は、気が抜けて時間を浪費してしまいそうなときに、気を引き締めるメッセージとして心に留めておきたいと感じました。
現代教育の得失(教育と情誼)
今の青年はただ学問のために学問をしているのである。初めより確然たる目的なく漠然と学問する結果、実際社会に出てから、われは何の為に学びしやというがごとき疑惑に、襲われる青年が往々にしてある。(中略)自分の境遇、生活状態をも顧みないで、分不相応の学問をする結果、後悔するがごときことがあるのである。
論語と算盤 p279
特に目的もなく、地位や収入を手に入れるという表面的な目的のために、勉学に励むがゆえに、分相応な道への努力と時間となってしまうという現在の教育の問題点を指摘する箇所となります。
掲示された目標のために盲目的に努力をすることは、自分の求めるものがない空虚で、自分の能力や立場にあわないいばらの道へ誘う危険性があります。
この問題は現代ではさらに深刻化していて、周囲と仕組みにあわせて目的を考えずに学生時代を過ごし、学問のための学問すら取り組んでいない学生が多いのではと考えます。
目的を持っていても出世による高い地位や高い収入のように漠然としたものであることも少なくないでしょう。
高い地位や収入は人に満足感を与える要素であり目標とすることは間違ったことではありません。しかし、個人的にはそれらは何かを達成するために必要な手段と考えています。
地位と収入には限度が無く他人との比較も容易であり、満足感もドーパミン由来であるためその量も逓減していくため、これらを最終目標とすると空虚となった目標のために人生を浪費する危険性があります。
個人的に大事と考えるのは、本書の言葉を借りるのであれば、大立志の発見を助ける教育です。
ここで意図するのは、学生時代に自分の目指す職業を決める必要があるというわけではありません。
専門化が進み環境変化も加速しているので、職種という手段の観点のみからだと情報に偏りが生まれ、視野の狭さを招く恐れがあるでしょう。
前述の通り、大立志を固めるのは時間が掛かり学生時代に見つかることは珍しいでしょう。
それよりは、自分の得意や好きなことを見つけるためのカリキュラムの充実が重要であると考えます。
「やりたいこと(WILL)」「できること(CAN)」「なすべきこと(MUST)」の3つの輪の内の前2つに該当します。
学生時代を振り返った時に「やりたいこと」や「できること」を考える時間というのはそれほど多くなかったと記憶しています。
カリキュラムとして考える時間を作るきっかけとなったり、サポートする時間がもっとあると、早い段階から大立志(人生の目標)を考える習慣を持つ子供の割合が増えるでしょう。
そんな自分にとって大事なことは学校に頼らず自分で考えるべきという意見も理解しますし、自主的に取り組まなかった自分は考えが甘かったと思います。
早い段階からこの2点を考える習慣をつけることで、将来の自分に役立てるための目的を持った日々を過ごすことができると考えます。
ちょこっと油絵の進捗日記
大分完成に近づいてきました!
水面の明るい部分と暗い部分を筆の向きがそろうように塗り分け、水底の石の輪郭をぼやかすことで、水の存在感を表現出来てきていると思います。
滝の反射が水量をちゃんと反映しているようにというのも今回こだわったポイントです。
滝の形をの修正、岩盤の色分け、そして崖上の樹木の明暗部分の描き分けをして完成を目指していきます。
その時はやっていたハッシュタグに乗れたのもありますが、3回目の100以上のイイネをいただき嬉しかったです。
新しく挑戦する表現が多く、上手く描けるか自信がなかったため。
まとめ
以上、二回に分けて違う視点で、 「論語と算盤」 を取り扱ってきました。
私は過去、論語を自分の行動に活かすことができていませんでした。
しかし、実業家として多大な結果を残してきた渋沢氏の視点による本書は、この資本主義社会で論語の内容をどう活かすことができるかについて、イメージを固めることができました。
具体的には下記を自分の行動に取り組んでいこうと考えました。
- 自分の大立志(人生の目標)に修正が必要ないか月一回確認する
- 大立志に向けてのアクション、アプローチ(小立志)がズレてないか夜振り返る
- 上記アクション、アプローチに十分な時間を割けているか、時間の無駄が多くないか夜に振り返る
- 調子が良いなと感じた時こそ細かい点を疎かにせずに用心する
- 学びをアクションに結び付けられるか、読書/学習時に意識する
- 学習時は相手の時代や背景を考慮して本質まで理解するよう努める
- 仕事の取り組み方を見直し、受動的な作業時間が多くなっていないか注意する
- 仕事では新しい取り組みや目的の再確認により仕事の充実度を高める
上記の達成のためとしても今後本ブログを活用していきます。
本記事がどなたかの行動を変えるきっかけや「論語と算盤」や「論語」を手に取るきっかけとなれば幸いです。
それではまた次の記事で!