前回に引き続きドフトエフスキー「罪と罰」(岩波文庫)を 読んでいます。今回は中巻です。
物語で言うと、母と妹に再会後の場面から、警察署で予審判事のペトローヴィチと論戦を繰り広げる場面までですね。
母と妹との再会で主人公の言動も複雑さや不安定さが増してきます。
妹の婚約者のルージンや 予審判事のペトローヴィチとの駆け引きや攻防も印象的な場面です。
簡単に登場人物をおさらいしてから、気になったフレーズや場面をピックアップしていきます!
登場人物:今回の記事に関係する人と情報に限定(岩波文庫より引用)
- ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフ:前編の主人公。貧しい大学中学生。
- プリヘーリア・アレクサンドロヴナ:ラスコーリニコフの母
- アヴドーチヤ・ロマーノヴナ:ラスコーリニコフの妹。 ドゥーニャは愛称
- セミョーン・ザハールイチ・マルメラードフ:ラスコーリニコフが酒場で出会う退官官吏
- ソフィア・セミョーノヴナ・ マルメラードフ:マルメラードフ の娘。愛称ソーニャと呼ばれることもある。
- ドミートリイ・プロコーフィチ・ラズミーヒン:ラスコーリニコフの大学の友人
- ピュートル・ペトローヴィチ・ルージン:ドゥーニャ(主人公の妹)に求婚する弁護士
- ポルフィーリイ・ペトローヴィチ:予審判事
気になったフレーズ
第3部:母と妹との再会、その翌日の会話、 ペトローヴィチとの会話
p21 母と妹との再会後に彼女らを部屋に送るラズミーヒン
ぼくは大好きなんですよ、人がでたらめを言うのは!でたらめは、他のいっさいの生物に対して人間だけが持っている特権ですからね。でたらめは真理への道なりです!でたらめを言うからこそ、ぼくは人間なんですよ。(中略)自分なりのでたらめ-こいつは他人の口まねだけの真理より、よほどましじゃないですか -ラズミーヒン
罪と罰 中巻
主人公が発狂するのを回避するために、主人公の部屋から母と妹を連れ出し、彼女らの部屋へ送るシーンでのセリフです。
二人を説得するために必死となる中で出てくるもので、正直物語に直接関与しないものですが、印象に残ったのでピックアップしてみました。
ここの「でたらめ」とは、ユヴァル・ノア・ハラリのサピエンス全史(河出書房新社)を読んだときに印象に残った、ホモ・サピエンスが爆発的に反映するきっかけとなった認知革命「実際に存在しないもの(虚構)を想像してそれを語る能力」を指しているのではと感じたのがピックアップした理由です。
実際に存在しないものとは噂話から神話、そして、国家や憲法等、人間の脳内で設定される人間がいなければ存在しない幅広いものを指します。
噂話はコミュニケーションによる関係性構築に役立ちますし、神話や国家は集団としての強さを高め、他の旧人類との進化競争に打ち勝つ原動力となったと考えられています。
このような重要な知見が、物語のさりげない場面で登場するというのは、ただただすごいと感動しました。
また、異なる分野でインプットした情報がリンクするのも大きな感動ポイントでした!
中略後の部分もアウトプット活動を開始した自分には刺さる言葉でした。
インプット知識をそのまま共有するのみでなく、自分なりの考えを組み合わせることで、少しでもオリジナルなものとして個性を発揮する、という目標を後押しする言葉と感じました。
(人に迷惑が掛からない範囲で)でたらめでもいいので、自分なりの何かを作っていきたいと強く思います。
p75 再会翌日の母と妹との再訪
他人を助けるためには、まず自分でその権利を持たなくちゃいけない。-主人公
罪と罰 中巻
前回記事でも触れた、母から送られたお金をほぼ初対面の退官官吏の葬儀代に差し出してしまった行動への自嘲ともとれるセリフです。
他人の役に立つのは満足度の高い行動ですが、適切かつ十分な行動をするには一時の行動や判断のみでなく、それまでの継続した努力も重要となります。日々の研鑽のモチベーションともなる1言であると感じました。
p79 再会翌日の母と妹との再訪
「まだたっぷり話しあえるじゃないですか!」こう言うと、彼は急にどぎまぎして真っ青になった。(中略)彼はふたたび、自分がいま口にした言葉は恐ろしい嘘であることを、もう今の彼は、たっぷり話しあえるどころか、これ以上は何事についても、だれとも、けっして話をすることはできないのだろうということを、突然、まざまざと思い知らされたのである。-主人公
罪と罰 中巻
自身の発言に対する主人公からの印象を懸念して慌てる母をなだめる一言。しかし、そのとっさの 一言 により、自分の犯した行為の結果を深く実感する場面です。
一度は落ち着いていた主人公の言動が、ここから不安定さを増すきっかけとなるシーンであると感じました。その後の彼の言動の背景を推測する上でも重要な場面となりそうです。
p143 ペトローヴィチとの最初の攻防
ぼくが暗示したのはたんに、「非凡人」は権利を持つ・・・というのは公的な権利ではなくて、自分の良心に対して・・・ある種の障害をふみ越える権利を持つということなんで、それも、彼の思想の実現(ある場合には、全人類を救済するような思想かもしれませんがね)にとってそれが必要である場合にかぎるのです。-主人公
罪と罰 中巻
主人公が過去に寄稿した論文への予審判事のペトローヴィチの解釈に対するセリフとなります。
ペトローヴィチは「計画」の犯人が主人公であると疑っており、そのあぶり出しの前哨戦としての場面となります。
プライドを高く持つ主人公が、自分の利己的な行動を正当化するような危険な思考とも読み取れます。
一方で、その後のセリフで革命者はその時の制度から乖離するので、周囲から評価されない。その行為を進めるためには、自身の判断を信じるしかない。
革命は成功すれば救世主となるが、失敗すればその時の社会から外れた罪人として断罪される。
というように、純粋な危険な思想と片付けるのはもったいない、真理が散りばめられた場面であると感じました。
ちょうどヨーロッパ中で革命がおこり、ロシアでもロシア革命が迫っている時代背景というのも反映されているでしょうか。うーむ、もう少し歴史の勉強をしていればと後悔です。
p156 ペトローヴィチとの最初の攻防
あなたは自分のことを、ほんのちょっぴりでも、自分も≪非凡な≫人間、つまり、あなたの言われる意味で新しい言葉を語る人間と考えられたことはありませんか・・・いかがです?。-ペトローヴィチ
おおいにありえますね。-主人公
罪と罰 中巻
ペトローヴィチが主人公の嫌疑により一歩踏み込む場面です。
この場面だと主人公はじぶんが非凡な人間であると考えていたことを明確に否定しません。
これは誰しも一度は考える通過儀礼的な段階であるという意味も含まれているのか、純粋に主人公だからこその回答であるのかで解釈は変わりますね。
次の次に取り上げるシーンとの対比が印象的であったのでピックアップしました。
p175 ペトローヴィチとの攻防後、主人公の部屋にて自問自答
あのラズミーヒンのおっちょこちょいは、さっきなんで社会主義者を罵倒したんだ?やつらは仕事好きな商才のある連中で、≪全人類の幸福≫のために働いているじゃないか・・・いや、おれには人生は一度しか与えられない、もう二度とはないものだ。おれは≪全人類の幸福≫まで待っていたりはできない。-主人公
罪と罰 中巻
ここは社会主義の限界を感じるセリフでした。社会主義の考えのみで世界を作るのは困難であると感じます。
すべての人が全人類の幸福のために働くというのは難しいと考えるためです。
理想論としては納得のいく考えではあり、そのような生き方に憧れます。
しかし、人間の本能的な部分はそれに適応するようにできておらず、大多数の人間に不具合をもたらすでしょう。
私は主人公のように一度きりの人生では、自分自身の幸福が重要という点に共感します。
その自分の幸福を実現するための手段のひとつに他者のための活動があるという優先順位が自分にはしっくりきます。
p176 ペトローヴィチとの攻防後、主人公の部屋にて自問自答
そうだ、おれは本当にしらみだ。-主人公
おれ自身が、殺されたしらみよりも、もしかすると、もっといやらしくて醜悪だからだ-主人公
罪と罰 中巻
ペトローヴィチとの対談後に自宅に戻った際に、自問自答するシーンでのセリフとなります。
自分を≪非凡≫な存在と考えたことを否定しなかった主人公が、自身をしらみと、それも、その中でも醜悪な存在であると卑下します。
ペトローヴィチとの論戦により再確認した自身に対する認識が、自分の行動を正当化していた考えが、誤っていたことと実感し始める場面となります。
この辺りから、主人公のふるまいが前日までの英雄気取りのふるまいから、罪人としてのふるまいにシフトしていると感じました。
p218のラズミーヒンとの会話における「あのとき以来、彼の気持ちの波はあまりにもはげしい変動があったのだ・・・。」もこの辺りを指しているのかなと推測します。
特にこの直後に、計画の真相を打ち明ける相手として、聖書で「罪の女」とされる娼婦のソーニャを選んでいることも印象的でした。
中編は気になるフレーズが多すぎて、記事が長くなってしまったので前後半に分けたいと思います。
油絵の進捗をちょびっと
大分進んで、あとは枝の色が定着していない箇所を修正して、水面の色で気になる部分を修正して完成予定です!
枝の描写や夕焼け空、水面と課題が大きいテーマでしたが、なんとか10月中に完成できそうです!
10月の進捗日記もまた今週か来週中に更新予定です!がんばらなければ・・・!