どうもです!アブラハム・H・マスロー氏の「完全なる人間-魂のめざすもの」をテーマとして、読書日記をまとめています。
前回は第Ⅲ部「成長と認識」の最終章、第9章「概括されることへの抵抗」を整理しました。
今回は第Ⅳ部「創造性」の第10章「自己実現する人における創造性」を整理していきます。
創造性は多くの人が欲しいと思う才能の一つとも思いますし、筆者が提唱する至高経験において経験される同一性の一つでもあります。
一方で創造性というとハードルが高くアーティストやデザイナー、科学者、発明家などの一部の人のみが持つ素質という印象があるのではないでしょうか。
筆者はそのような一般的にイメージされる創造性の存在を認めながらも、異なる視点からの創造性の考察を試みます。
それでは早速本題に入りましょう!
天才と創造性
創造性と聞くと、アーティストやデザイナー、科学者、発明家などの天才固有のスキルというイメージが一般的には思い浮かびやすいでしょう。
一方で、筆者は多数の協力者からヒアリング調査による考察結果により、一般的なイメージと異なる創造性を持つ人々がいることに着目します。
そして、この章では、天才型でもないより広い意味での創造性についての深堀を目指します。広い意味での創造性について筆者は下記の通り説明します。
(前略)心理学は天才型の特殊な才能については、非常にわずかしか知られていない(中略)。わたくしは、それについてはもうなにもいわないで、もっと広い意味の創造性の創造性の問題に限定していきたい。それはあらゆる人間に普遍的に受け継がれ、心理学的健康とともに生じ、これと関連しあっていると思われるものである。
アブラハム・H・マスロー「完全なる人間」p172
広い意味での創造性に視野を広げることで、創造性はより身近な存在となり、日常生活を含め創造性を自分の活動に取り入れやすくなる、もしくは自分の中の創造性に気づきやすくなるでしょう。
広義の創造性
日常生活に見られる創造性
筆者は広い意味での創造性として、日常生活に見られる創造性に着目します。
筆者は創造性とはある職業の人に限定された要素であると無意識に思い込んでいた過去を振り返りながら、協力者達からの聴取により、その思い込みは間違いであったと気づいたと報告します。
日常生活に見られる創造性として筆者はある婦人を例示します。
終日家事に追い回されている母親である一婦人を例にとると、彼女はこれらの慣例的な意味での創造的なことは、なにもしていなかった。にもかかわらず、素晴らしい料理人であり、母親であり、妻であり、主婦なのである。(中略)彼女はこれらすべての領域で、独創的で、斬新で、器用で、思いもよらないもので、発明的であった。わたくしはまさに彼女を、創造的と呼ばざるを得なかったのである。
アブラハム・H・マスロー「完全なる人間」p172-173
ここでいう筆者の創造性は、確かに一般的にイメージされるものとは異なりますが、彼女自身の発想による創意工夫という観点ではまさに創造的の発揮いえるでしょう。
そのほかに筆者は下記のような人々を例示し、一見創造的な仕事と関係の無さそうな彼らが、新しい視点で問題に取り組み全く新しい方法で解決するという、独自で「創造的な」取り組み・問題解決をしていたことを報告します。
例:独自の方法で解決に取り組む精神科医、起業家、美的作品に匹敵するほどの完全なタックルをできる体育家、よい食器棚製作者
一方で、一見創造性の発揮を前提としているように見える職業でも、その取り組み方によっては創造性を持たない点を筆者は指摘します。
例えば、ただ他の人の曲を忠実に演奏するのみの演奏家を作曲家の代弁者と称しており、いかに優れた音色を奏でていてもそこに個人の創意工夫が無ければ創造性の発揮といえるのかについて筆者が疑問視していることが読み取れます。
「自己実現(SA)の創造性」
創造性という作り上げるイメージを持つ言葉により、我々は結果や作品を基準に創造性を評価しがちかもしれません。
しかし、筆者は本人の取り組みの姿勢やその過程を観察する重要性を指摘し、どんな役割や仕事でも、創造的である可能性それとも創造的でない可能性の両方があり得ると主張します。
現代で、リベラルアーツとしてアートを学ぶ価値がビジネスマンにもあるといわれるのは、創造性が一部の領域に限定しないという側面を持つためかもしれません。
職業という属性による粗い分類から、その人がどのように認識し、どのように取り組もうとしているのかという個人的特徴・個性・人格へ視点のシフトを試みていると読み取りました。
換言すれば、わたくしは「創造的」ということばを(そしてまた「美的」ということばを)、単に作品ばかりでなく、性格学的なかたちで人々にも、さらに活動や過程や態度にも適用されることがわかったのである。
アブラハム・H・マスロー「完全なる人間」p174
そこで創造性と聞いてこれまで一般的にイメージされる一部の人間・職業に限定された「特別な才能の創造性」と区別をつけるため、「自己実現(SA:self-actualization)の創造性」という概念を新たに提唱します。
その結果、わたくしは、直接に人格から出て、広く日常生活の事柄、たとえば、ある種のユーモアのうちに示されるような「自己実現(SA)の創造性」を、「特別な才能の創造性」と区別する必要があることを知ったのである。
アブラハム・H・マスロー「完全なる人間」p174
そして、「自己実現(SA)の創造性」を持つ人は、裸の王様を指摘した子供のような特別な世界の見方をしていることを指摘します。
前章の至高経験においても、「B認識」、「D認識」に区別していたように、筆者は人々の認識の方法を重要視しています。
この認識の方法が世界をありのまま・本質的に・個別に見れるほど、人々が世界から得られる印象・影響は変わり、取り組みや姿勢という活動のアプローチも積極的かつ主体的で充実感を得やすいものとなり自己実現に繋がります。
筆者は「自己実現(SA)の創造性」を持つ人の特徴を下記の通り説明します。
このような人びとは、一般的で、抽象的で、概括され、分類され、類別されたものを見るように、斬新で、生粋で、具体的で、個別的なものを見ることができる。結果として、かれらは、大多数の人びとが現実界と混同している言語化された概念、抽象、期待、信条、固定概念の世界よりも、はるかに自然の生き生きとした世界のうちに生きるのである。
アブラハム・H・マスロー「完全なる人間」p174
創造的人格の特徴、自発性と曖昧さの受容
筆者はこのような日常の中で創造性を発揮する人々を、同時期の著名な心理学者であるロジャーズの言葉を借りて「完全に機能する人間」と言えると説明します。
また、SA創造性を持つ人の共通の特徴としては自発性と、素直で自由な認知があげられます。
そのような人びとは周囲からの評価や義務ではなく、やりたいことをやりたいように表現します。そして、固定概念や経験に縛られず物事をありのままに観察します。
筆者はその特徴を幸福で安定した子供の創造性に似ていると評します。
SA創造性を持つ人は成人をして色々な経験・成長を積み重ねながらも、子供のころの無邪気さを兼ね備えているということになります。
また、SA創造性を持つ人は、直接の創造性のみでなく、創造性を生み出す特徴も示していたことを筆者は紹介します。
自己実現する人は、どちらかといえば、知らないもの、神秘的なもの、わけのわからないものにも平気で、往々にして積極的にそれにひかれる。すなわち、じっくり考えるためにこれをとりあげ、これについて熟考し、熟考するのである。
アブラハム・H・マスロー「完全なる人間」p176
これは確かに平均的な人と異なる反応と感じます。多くの人は知らないことへの恐怖や、プライド、確認・考える煩わしさから知らないこと、分からないことから目を背けがちです。
10月から多忙でばたばたしていた私にとってはハッとさせられるポイントでした。余裕が無いと新しいことや分からないことが煩わしくてしょうがなくなります・・・。じっくり考える大切さを学んだばかりなのに・・・。
経験に開かれた人は、どんどん情報を吸収できるので知識の蓄積や新しい発見につながります。そしてその蓄積や発見は新しいアイディアとして表現できる幅を広げるため、創造性を成長させる要因となります。
新しいものや分からないものを処理しなければならないタスクではなく、新たな発見を生むワクワクとするものとして接するという認識の切り替えが必要であると勉強になりました!
ここまで「SA(自己実現)の創造性」という、日常に見られる新たな視点での創造性に対する筆者の考察を整理してきました。
創造性とは一部の人、職業に限られた限定的な才能ではないこと、日常で新しい視点で問題に取り組み全く新しい方法を生み出すことで創造性を発揮する人の特徴として、主体性と素直な観察眼を持ち、新しいことや不安なことにも動じず経験に開かれいるという筆者の主張を学びました。
次の記事では第10章「自己実現する人における創造性」の後半を整理したいと思います。
それではまた次の記事で!