どうもです!夜は涼しくなってきましたが、まだまだ残暑が続きますね;体調を崩さないように気をつけてまいりましょう!
さて、今回は約2000年前の賢人から良い人生を過ごす術を学ぶことがテーマで、ウィリアム・B・アーヴァイン氏の「良き人生について-ローマの哲人に学ぶ生き方の知恵」(白揚社、約:竹内和世氏)を取り扱います!
ここで言うローマの哲人とは、約2000年前にストア哲学を実際に実践した偉大なローマ・ストア派の4人、セネカ、エピクトテス、ムソニウス・ルフス、そしてマルクス・アウレリウスを指します。
筆者はストア哲学を取り扱う哲学科の教授であり、ストア哲学者達が実践した生活の知恵を現代に蘇らすことを目的に本書を執筆しました。
実際にストア哲学の考え方を実践してみた筆者は関心や行動、物事の捉え方に良い変化を感じ、当時の知恵が現代でも大きな力を持つことを発見します。
2000年という時を超えても人間の心理は大きく変わっておらず、当時の金言は現在もおおいに役に立つと筆者は主張します。
ストア哲学の大きな要素に「心の平静を保つ」ことと、「徳」を目指すことがあり、本書では前者の「心の平静を保つ」ことに着目して、現代でも実践できるように様々な角度から当時の賢人の知恵の活用方法を紹介します。
情報が溢れ変化も激しく慌ただしい現代、心が中々落ち着かない、気持ちのコントロールに苦戦している、自分にとって重要なものを見失って悩んでいる方々へオススメの一冊となります。
それでは早速本題に入りましょう!
ストア哲学とは
ストア哲学の概要
ストア哲学とは紀元前3世紀初頭にキプロスのゼノンによって創始され古代ギリシャ・ローマで発展した思想で、主に内面的な心の平静と徳を追求します。
現代ではストア哲学が語源となった「ストイック」という言葉が最もなじみの深い名残でしょうか。
ストア哲学はゼノンにより創始され、論理学、自然学、そして倫理学の要素を含んでいます。ストア哲学の倫理学は現在道徳的善悪を考えることではなく、良き幸福な生を生きるための道徳的知恵と呼ばれるものであり、筆者はこの倫理学に最も着目します。
ローマのストア派とは
筆者はゼノンの哲学を取りこみ発展させ実践した下記4人のローマのストア派の哲人に着目し、本書は彼らの著書やエピソードを元に現代でも実践できる知恵を紹介します。
- セネカ:4人の中でも最も優れた著述家であり、分かりやすい入門書である「ルキリウスの手紙」を含め、数々のエッセイや記述を残す。著作では人生を不幸にするもの、人生を喜びに満ちたものとするために何が出来るかについて語っている。成功を博した劇作家、莫大な富を築いた投資家、皇帝の家庭教師としても名を馳せる。
- ムソニウス・ルフス:哲学の学校をはじめ、対話形式で教育を展開する。公共の利益のために精力的に社会に参加すべきと考え、社会に参加しつつ心の平静を保つにはどうすればいいかを教えた。
- エピクトテス:ムソニウスの弟子。哲学の学校をはじめ、弟子が「哲学から利益を得ること」、「哲学にかかわることがなにをもたらすか分かっている」ことを望む。自分の本性と自分がなんのために生まれたかを考えて徳を追求する重要性を強調。
- マルクス・アウレリウス:ローマの優れた皇帝(五賢帝の1人)として4人の中で最も有名。幼少から哲学に興味を持ち、ストア哲学を実践し心の平静を保つ。病気、災害や飢饉、辺境の暴動や部族の蜂起などの多くのトラブルを耐え広大な帝国を維持した。貴重な哲人君主の実現例。
投資家、著者、良き人生を教える教師、皇帝の家庭教師、のみならず皇帝まで含まれており、一部の哲学者や思想家にありがちな世捨て人のイメージと異なり、多才かつ積極的に世の中と関わっていることが分かります。お金を稼ぐことも否定していません。
ローマの哲人達はストア派の考えを浸透させるため、心の平静と徳の内、ローマの人びとがより求めている心の平静に着目し、そのテクニックを発展させました。
本書でも主に心の平静を保つための知恵が紹介されます。
ストア哲学が目指す良き人生とは、徳とは
哲学に触れる機会も学ぶ機会も限られる現代では、哲学は思考に耽るばかりで人生に直接影響しないような印象を持つ人もいるかもしれません。
しかし、ストア哲学を含めた当時の主流な哲学者達は、哲学を学ぶ理由として、良き生を送るのに役立てることを重視していました。
それでは彼らの言う「良き人生」とは何を指すのでしょうか?現代でイメージされやすい高収入でお金持ちの人生を指すのでしょうか?
例え高収入の仕事に就いていてもその仕事を嫌っていたり、葛藤に悩まされて心が乱れていれば、「良き人生」とは呼べないのではないかと筆者は指摘します。
ストア哲学における「良き人生」とは「徳高く生きる」ことを指します。そして「心の平静を保つ」ことと「徳の追求」が良き人生に必要な要素と捉えていました。
ではさらに「徳の追求」とは何を指すのでしょうか?無欲な僧侶や修道女のような清らかな存在を目指すことでしょうか?
筆者も初めは、ストア哲学について「stoic」を辞書で引いた時に出てくる「喜び、悲しみ、快楽、もしくは苦痛に対して、見たところ無関心であるか、それらに左右されない人」という感情を押し殺した人びとと思っていたそうです。
ストア哲学が求める「徳」とは、その人が人間として優れているか、つまり人としての機能をいかに果たしているかを指します。
(前略)「優れた」人間とは、人間としての機能を良く果たす人のことである。つまり徳高く生きるというのは、人間がそのために創られた生を生きるということである、ゼノンによれば「自然に従って生きる」ということになる。
ウィリアム・B・アーヴァインン 良き人生について~ローマの哲人に学ぶ生き方の知恵 p42
人間として機能を果たすことを目標とするのは、マスロー氏の「完全なる人間」にあった至高経験において得られる「完全なる機能」や精神的本性の発揮との類似点を感じました。
そしてストア哲学においては、人間の機能とは何かを考えるための有効なアプローチとして、自らを吟味することがあげられます。
ゼノンが「自然に従って生きる」とある通り、人間に自然に備わる動物と同じか似た本能も人間の機能の一部として必要なものと考えられます。
さらに人間特有である論理的に思考する能力も尊重する必要があるでしょう。そして人が社会的な生き物として創られた(進化した)ことを考えると、同胞への貢献も重要な機能と考えられます。
実際にローマのストア哲学の実践者たちは前述の通り世界に対して決して受け身や諦めの姿勢ではなく、世界をより良くしようと熱心に関わり活動していました。
ここで、「自然に従って生きる」ことが、運命のままに周囲に合わせてもしくはやりたいように利己的に生きるのではなく、理想に向けて社会・組織・周囲へ主体的に寄与しようとする姿勢を指すことが分かります。
ストア哲学でなぜ心の平静が得られるか
徳の追求をする上で好循環の関係にあるのが心の平静であり、徳の追求はある程度の心の平静を生み出し、一方で心の平静があれば徳を追求するのはずっと楽になります。
では、「心の平静」とはどのような状態を指すのでしょうか?例え心の平静を保つためと言っても、心を捨てた世の中に無関心で空っぽなゾンビのような状態を指すのであれば、魅力的には感じません。
ストア哲学でいう、「心の平静」とは怒り、悲しみ、不安、恐怖などのネガティブな情動がなく、ポジティブな情動に溢れる状態を指します。
そのため、彼らが編み出したテクニックは全ての欲を捨てる、社会と断絶するような幸福も失ってしまうような極端な方法ではなく、ネガティブな情動をいかに対処するかに焦点を当てます。
特にストア哲学は心理学的要素が含まれているため、彼らが実践していたネガティブな情動に対処するテクニックは現代の我々の生活にも役立つ点に筆者は着目します。
(前略)ストア哲学は哲学ではあるけれども、そこには重要な心理学的要素が含まれていることを忘れてはならない。ストア派の人びとは、怒り、不安、恐れ、悲しみ、羨望などといったネガティブな情動に苦しむ人生が決して良き生ではないと気づいていた。(中略)彼らは、ネガティブな情動が起こるのを防ぐためのテクニックと、それでも起きてしまった情動の火を消すためのテクニックを発達させていったのである。哲学に馴染みがない読者でも、これらのテクニックは興味をひかれるはずだ。
ウィリアム・B・アーヴァインン 良き人生について~ローマの哲人に学ぶ生き方の知恵 p11
本書について
筆者と本書の意図
筆者はオハイオ州にあるライト州立大学の哲学科の教授であるウィリアム・B・アーヴァイン氏であり、著書に欲望がどのように形作られるのか、そしてなぜ欲望は存在するのかといった疑問に、科学的視点で取り組み、近代以前の思想家や哲学者が残してきた欲望の考え方、対し方を紹介した「欲望について」(白揚社)があります。
哲学の中でも主にストア哲学を扱い、自身も実践したことで当時の生き方の知恵の有用性を実感し、現代に蘇らせようというのが本書への筆者の意図です。
また、筆者は本書の冒頭で人生哲学を持つことを推奨します。人生哲学は主に人生の究極の目標とその目標を達成するための戦略・優先度という要素で構成されます。
人生哲学を持つことで人は良く生きるためのガイドを得られるため、人生を誤って生きる可能性が低くなります。特に筆者はその人生哲学としてストア哲学をオススメします。
筆者はストア哲学が唯一の選択肢ではない点を注意喚起します。その人の価値観、求める物や環境により、その人に適性が高い人生哲学は異なるためです。
しかし、その上でストア哲学が人生哲学として多くの人にとって素晴らしい選択肢になり、少なくとも人生哲学を持たない人よりはよい人生に近づくと主張します。
本書の構成
本書は全4部、22章の構成です。
第1部で哲学の歴史や背景に触れながらストア哲学がどう生まれどのように当時の人びとに活用されたかが紹介されます。
第2部ではストア派の人びとが心の平静を保つために実践した心理学的テクニックを紹介し、第3部では現代の日常でどのように実践すればよいかの具体例を現代の心を乱す様々な原因や場面毎に紹介します。
第4部ではストア哲学に対する批判への筆者の反論と、ストアの心理学を現代の科学的知見に照らした再評価が記されます。
- 第1部 ストア哲学の勃興
- 第1章 哲学は人生に関心を持つ
- 第2章 最初のストイック
- 第3章 ローマのストア哲学
- 第2部 ストアの心理テクニック
- 第4章 ネガティブ・ビジュアリゼーション-起こり得る最悪のこととは?
- 第5章 コントロールの二分法-無敵となることについて
- 第6章 運命論-過去に執着しない・・・そして現代にも
- 第7章 自制-快楽のダークサイドについて
- 第8章 瞑想-ストアを実践している自分を観察する
- 第3部 ストアのアドバイス
- 第9章 義務-人類を愛することについて
- 第10章 社会的関係-他者への対処について
- 第11章 侮辱-こきおろしに耐えることについて
- 第12章 悲しみ-理性によって涙を抑える
- 第13章 怒り-アンチエンジョイを克服数る
- 第14章 個人の価値観Ⅰ-名声を求めることについて
- 第15章 個人の価値観Ⅱ-贅沢な生き方について
- 第16章 追放-場所の変化を生き抜く
- 第17章 老い-施設への追放について
- 第18章 死ぬこと-良い生の良き終末について
- 第19章 ストイックになること-いますぐはじめよう、からかわれる用意はいいか
- 第4部 現代のためのストア哲学
- 第20章 ストア哲学の衰退
- 第21章 ストア哲学再考
- 第22章 ストア哲学の実践
今回は心の平静を保つ方法として第二章で紹介されている二つの方法「ネガティブ・ビジュアリゼーション」と「コントロールの二分法」について整理します。
本書で学んだ生活の知恵
ネガティブ・ビジュアリゼーション
まず最初に紹介するのは「ネガティブ・ビジュアリゼーション」です。
このテクニックは直訳すると「悪い事態を想像(視覚化)」することとなり、言葉の通り自分に降りかかるかもしれない悪いことを考えることを意味します。
悪いことを想像することはその悪いことの予防や対策にも役立ちます。しかし、ストアの哲人はそれ以外の二つの理由に着目します。
- 現実に起きたときに受けるショックを軽減できる:人は想定外の事態により強く衝撃を受けます。現在持つかげがえのないものをあって当たり前の永久の物とぞんざいに扱っていると、失った時に生まれる後悔はとてつもないものとなります。事前に想定しておくことでこのショックを軽減できます。
- 不満の原因となる快楽適応のプロセスを出し抜く:どんな素晴らしい目標も達成・到達してしまうと人は「飽き」を感じ手に入れた物の価値を忘れてしまいます。その結果、新たな欲望が生まれ不満状態の原因となるが、失う可能性を考え自分の持つ者の価値を見直することで、快楽適応を阻止し不満状態の回避に繋ります。
上記の二つは「心の平静を保つ」上で重要となります。
心の衝撃を和らげることはそのまま心の平静維持に繋がりますし、不満というネガティブな情動に繋がる快楽適応のプロセスを阻止するのは心の平静の乱れの予防策としてより効果的な影響を持つでしょう。
すでに必要なものを手に入れているのに、本来はそれほど価値のない新たなものを求めて不満に苦しむ。このような状況を回避するのにネガティブ・ビジュアリゼーションは役立ちます。
私たちのほとんどはそれなりに「夢を叶えて」生きている。かつて思い描いた夢だ。(中略)だが、そうした夢の生活を生きることになったとたん、快楽適応が働きはじめ、その生活が当たり前だと思ってしまう。幸運を楽しむかわりに、別の、より壮大な夢をつくりあげ、その夢を追求して日々をすごす。その結果、私たちは決して人生に満足することはなくなる。この運命を避けるには、ネガティブ・ビジュアリゼーションが役立つのだ。
ウィリアム・B・アーヴァインン 良き人生について~ローマの哲人に学ぶ生き方の知恵 p78
このような現在持っているもので喜びを感じるという表現から、ストア哲学は現状維持を良しとし、改善や探求を不要としているような印象を持つ人もいるかもしれません。
しかし、ストア哲学は前述の「徳の追求」、人の本質の発揮に繋がるような取り組みや改善を重要視しています。
もうひとつ言っておきたいことがある。ストイックは虐げられた人びとの生活が耐えられるものとなるためのアドバイスを与えるけれども、だからといって彼らがそのまま隷属的な状況にとどまるのをよしとしない。ストイックはその人たちの惨めな外的状況を改善しようと努めるだろう。それと同時に、その状況が改善されるまでのあいだ、苦しみを軽くできるようにさまざまな助言をしていくのである。
ウィリアム・B・アーヴァインン 良き人生について~ローマの哲人に学ぶ生き方の知恵 p79-p80
あくまで放棄する欲望は「良き人生」を過ごすのに不要な欲望のぜい肉ともいえる部分であり、ネガティブ・ビジュアリゼーションはむしろ人生にとって重要な物事への積極的な挑戦・関与を支援するといえるでしょう。
「良き人生」を過ごすのに不要な欲望から解放されることは、自分にとって重要な物事に時間を使うのを可能にしますし、ネガティブ・ビジュアリゼーションは喪失の影響が大きいもの、つまり自分にとって重要な物事が何かを考える時間となるでしょう。
また、悪い出来事を想像することは、悲観主義や気持ちの落ち込みに繋がりそうと心配する人もいるかもしれません。
補足として、このテクニックは一週間もしくは一日に数回、各数分、それこそ寝る前のみの実施でも問題なく、46時中取り組むわけではありません。そのため、人生の楽しむ時間に変化はなく得られる喜びは邪魔されません。
楽しいひと時にも悪いことを考えろというものではありません。楽しみの時間は楽しみに集中します。
むしろ、現在手にしているもの価値を認識することで、ネガティブ・ビジュアリゼーションは人生の喜びの実感や心の安定に繋がる点を筆者は指摘します。
コントロールの二(三)分法
コントロールできないものに執着しない
次は「良き人生」に集中するもための物事の整理方法「コントロールの二(三)分法」を紹介します。
筆者はエピクテトスの考え方より、ローマの哲人は満足を得るために欲求不満を埋まるために戦略を立てて一生懸命努力するという従来の考え方ではなく、確実に手に入るものだけを望むという戦略を取っていることに着目します。
エピクテトスによれば、人生における最も重要な選択は、自分の外にあることがらを気にかけるか、それとも内的なことがらを気にかけるかという問題である。ほとんどの人は前者を選ぶ。なぜなら害も益も外界からやって来ると考えるからだ。だが哲学者は逆だという。(中略)彼らは「すべての害と益を自分自身から」期待する。なかでも、「心の平静、自由、冷静」を手に入れるために、外の世界が差し出す報酬を捨てるだろう。
ウィリアム・B・アーヴァインン 良き人生について~ローマの哲人に学ぶ生き方の知恵 p92-p93
ほとんどの人は、満足を手に入れるために自分の周りの世界を変えようとするのに対し、エピクテトスは自分、もしくは自分の欲望が向く先を変えることで満足を手に入れることを助言していると説明します。
外の世界を変えるのには限界があります。ものによってはいくら努力しても変えられないものがあるでしょう。そのようにコントロールが及ばないものに一喜一憂したり、自分の満足を委ねていては欲求不満により「心の平静」は乱され、「良き人生」は遠ざかるばかりとなります。
コントロールできるものとコントロールできないものに物事を分け、コントロールできないことに対して悩む時間を捨ててコントロールできるものに時間を割くというのが「コントロールの二分法」となります。
「自分のコントロールの及ばない達成できない欲望への欲求不満や挫折を回避し、自分が影響を及ぼしコントロールできるもの、つまり自分自身と欲望を変えることに注力しよう」というのが、ローマの哲人が推奨する戦略となります。
これは7つの法則の影響力を持つことが出来ない「関心の輪」と自分で変えたり影響を与えられる「影響の輪」とも似ていると感じ、現代でも形を変えて重宝されている考え方なのだと思いました。
コントロールできないことの分類方法-二分法から三分法へ
コントロールの二分法で重要となるのは、コントロールできないものをどこまでにするかという分類の基準です。この分類の基準により実践方法は大きく変化するでしょう。
私たちのコントロールできるものは限られます。エピクテトスの考えを引用しながら、完全にコントロールできるものとして「自分の意見、衝動、欲望」があると筆者は紹介します。
逆に、仕事の成果や試合の勝ち負けは相手や環境など色んな要素が絡むために完全にコントロールすることが出来ません。それではそれらをコントロールできないものとしてすべて放棄してしまっていいのでしょうか?
筆者はコントロールできないものに対する取り組みを検討するため、「太陽の動き」のように自身のコントロールが全く及ばないものと、「テニスの試合」のように完全にはコントロールできないがある程度は及ぶものに分類したコントロールの三分法を提唱します。
コントロールの三分法に基づくストアが提唱する人生の取り組み方
物事をコントロールで三分した時、「完全にコントロールできないもの」へはエネルギーを注ぐのは時間の無駄で、ネガティブな情動を生むような関わりを遮断することで問題ないということは明確でしょう。
悩むのは「完全にはコントロールできないが、ある程度は影響を及ぼせるもの」への取り組み方でしょう。
コントロールできないものへの取り組みを諦めることをローマの哲人達は推奨しているのでしょうか?いえ、前述の通り彼らは主体的に日々の生活に取り組んでおり、特に問題解決や周囲への貢献などの人間としての能力の発揮の場となるような「徳の追求」に関わる事柄への関与を推奨するはずです。
ここで大事になるのは関与の有無に加えて、何を目指して関与するかという目標設定です。どんな目標を設定するかは自分で完全にコントロールでき、目標を自分のコントロール範囲に定めること(内的目標の設定)が可能です。
例えば、試合に勝つというのは外的な要素を含み完全なコントロールができない目標(外的目標)になります。一方で、(練習段階を含め)自分のベストを尽くす、能力を最大限発揮するというのは完全にコントロールできる内的目標となります。
筆者はここで内的目標の達成が外的目標にも繋がる点を指摘します。ベストを尽くすのは勝率を上げる最も重要な要素の一つです。
もし、外的目標のみの設定の場合、全力を尽くした上でも達成できなかった時はショックを受けますが、内的目標に焦点をあわせることで外的目標達成の可能性を下げることなく、結果による心の乱れを抑制できます。
筆者はこの考え方をいろんな場面で活用できるとし、家族関係を例示します。相手に愛してもらうのはコントロールが難しい外的目標となりますが、こちらが出来る限りの愛情をもって接することは自身でコントロールできる内的目標となります。
アプローチがズレていないという前提となりますが。愛情をもって接するというのは、「愛してもらう」という外的目標に繋がる目標設定ですね。
外部と関わることは「徳の追求」に必要ですが、「心の平静を乱す原因」ともなります。しかしコントロールの三分法を活用し、目標をコントロールできる内的目標に設定することで徳を追求するための努力を継続しながらネガティブな情動を抑制できると筆者は主張します。
筆者はエピクテトスの教えを「コントロールの二(三)分法」に対して下記のように整理します。
「ネガティブ・ビジュアリゼーション」と「コントロールの二(三)分法」は、苦痛を生むネガティブな情動を抑えることで心の平静を保ち、自分が注力すべき対象や目標が明確化できるので良き人生を過ごす上で現代でも役立つ有用な方法と感じました。
「良き人生」の達成には、大事な物事に割く時間を増やすことが重要であり、早速寝る前のルーティンである「3 good things」の時間に「ネガティブ・ビジュアリゼーション」を追加してみました。
大事なことに時間を割く方法については下記記事でも触れているので気になる方は是非!
本書では上記の方法以外に「今に集中するための運命論」、「自制」、「瞑想」といった心の平静を保つためのテクニックが紹介されます。
そのため、今回紹介した方法の詳細や他の方法にも興味がある方は是非本書を手に取って頂きたいです!
まとめ
最後に筆者はストア哲学を実践するコツとして2つのアドバイスを紹介します。
一つ目は「一目を忍ぶストイック」となることです。
ストア哲学において、心の乱れの主な原因は他者です。自分と異なる価値観、取り組みをしている人がいれば、「出る杭は打たれる」とあるように干渉しようとするのが人の性。
他者からの干渉を受けにくくするため、ストア哲学の実践は口外せず「人目を忍ぶこと」を筆者は推奨します。
ただ、今回紹介したテクニックを含めストア哲学の実践は一目を引くものはないので、自分から主張しなければこの実践はたやすいと筆者も補足します。
ネガティブ・ビジュアリゼーションも含め、心・頭の中で完結するものがほとんどです。
二つ目は「すべてのテクニックを一挙にマスターすようとしないこと」です。ストア哲学はストイックの由来となる通り、実践・熟練するには日々の地道な取り組みが重要となります。
まず「ネガティブ・ビジュアリゼーション」をマスターし、そのあとに「コントロールの二(三)分法」に進むように、一つ一つ優先順位をつけて身につけていくことを筆者は推奨します。
ネガティブ・ビジュアリゼーションは46時中実施するものでなく、1-3日の間の数分間で実践できる分、習慣化が難しかったと筆者は振り返ります。一度に全てを取り入れようとして中途半端になることを避け、確実に一つ一つ優先順位をつけて実践を習慣化することが重要となります。
以上、ウィリアム・B・アーヴァイン氏の「良き人生について-ローマの哲人に学ぶ生き方の知恵」(白揚社、約:竹内和世氏)を参考に約2000年前の賢人から良い人生を過ごすための術について勉強しました。
情報が溢れ変化も激しく慌ただしい現代、心が中々落ち着かない、自分にとって重要なものが何かわからない、気持ちのコントロールに悩んでいる方々に本書で紹介されるテクニックが参考となれば幸いです。
本書と出会えたこと、そしてじっくり読んでブログにまとめる時間を持てたことと、ここまで読んでくれた方がいることに感謝して今回を〆ようと思います。
それではまた次の記事で!