どうもです!アブラハム・H・マスロー氏の「完全なる人間-魂のめざすもの」をテーマとして、読書日記をまとめています。
前回は第3章「欠乏動機と成長動機」の整理が完了し、欠乏に対する低次の欲求を動機とする人と、成長に向けた高次の欲求で動機づけられる人の特徴の違い、特に得られる満足感、行動や目標の違いに注目しました。
今回は第4章「防衛と成長」を整理していきます!
防衛と成長
成長はどのようにして起こるか
成長に動機づけられる人は、下記緑枠のような特徴がみられることを前々回と前回の記事で整理しました。
それではこのような成長への動機はどのように生まれるのかを深堀して考えるのが第4章となります。
成長に向かう心理的なプロセスを解明することで、健全な成長をもたらすコツを見つけることが期待できます。
子供はなぜ自然と成長の道を選択するのか
筆者はこのプロセスを考える上で、自然と成長・前進を選択しようとする子どもの動向に主に着目します。
子どもは日々成長する上で、自己実現のような高度な目標を必要としません。自身の活動をこなす上で活動と成長の喜びをただ自然に見つけ出します。
これは成熟し安定や不変を好み、成長に喜びを見いだせなくなってしまった人々には見られない特徴となります。
活動の中に喜びを自然に見つけ出すプロセスを知ることで、自主的な成長を止めてしまった人々に、成長動機を再び芽生えさすために役立つポイントの発見に繋がる可能性があります。
また、この解明の上で成長を妨げる要因も検討できるため、そこから子どもの健全な成長を守るために必要な要素の特定も期待できます。
筆者が立証を目指す主張
そして、筆者はこの検討の上で下記のような解答が出ることが好ましいと目標を掲示します。
成長は、次の段階への前進が主観的に喜ばしく、快適で、われわれが慣れ親しんできて、退屈さえ感じている以前の満足にもまして本当に満足すべきものである場合に、生じるということである。
アブラハム・H・マスロー「完全なる人間」p57
筆者は経験による価値について、あくまでも主観的に良いと感じるものであるかが重要であることを強調します。他者から強要・指示される経験でなく、自身が自主的に好んで選択することが必要となるのです。
自主的に選択した活動への積極的に取り組みには、自身の好き嫌いや価値観、判断、能力が色濃く反映されるため、自分はいったい何者なのかという自己実現の道にも繋がることを筆者は主張します。
成長と安全
成長を妨げる本能
健康な幼児や児童が好奇心に満ち溢れ、自然と無意識、かつ自発的に成長に繋がる活動を選択するのであれば、人がその性質を失う理由は何か、成長を妨げるのは何で、成長の代わりに何が選択されるのかという疑問を筆者は掲示します。
そしてその疑問への回答として、欠乏欲求の内の安全欲求、安全や安定のための防衛という衝動に着目し、成長と対をなす動機付けとして位置付けます。
筆者は下記のようにこの2組の力を対比します。
- 成長
- 自己の全体性や独自性
- 全能力の完全なはたらき
- 最も深い現実の無意識的自己の受け入れ
- 外界に対して持つ確信
- 安全
- おそれから安全や防衛にしがみつく
- 過去に頼り、原初的な結びつきから抜け出すことを恐れ
- 偶然の機会をとらえることを恐れ
- すでに所有しているものを危険にさらすことを恐れ
- 独立、自由、分離を恐れる
成長への動機は自身の自主的な振る舞いによる能力の発揮のためであれば、挑戦や変化を苦にせず向き合うことを可能とします。
一方で防衛の動機は安全確保に固執するため、現状からの変化や挑戦を拒む衝動となり、成長と防衛は背反する衝動と捉えられます。
本ブログで取り上げた「自由からの逃走」でも、自由を自ら手放し権力者の支配下へ帰属しようとする民衆の衝動の存在が指摘されており、「独立、自由、分離」への恐れという点で、本書との共通点が確認できることも興味深いですね。
成長傾向に影響する誘意性
筆者はこの成長と防衛の衝動に対し、各人が常に際限のない連続的な自由選択におかれており、下記のような誘引に晒されていることを提唱します。
上記の誘意性の影響を受けながら、人々は安全か成長、依存か独立、退行か進歩、未成熟か成熟の喜びのいずれかを選択します。
われわれは成長の喜びと安全の不安が、成長の不安と安全の喜びより大きい場合に、成長を遂げることが出来ると筆者は主張します。
成長の喜びと成長に向かうために安定から離れる時の恐れのバランスが大きな要素になると個人的に感じました。
成長を促すもの-真の喜び
ここで筆者は下記のような仮説を掲示します。
自由な選択が本当に自由であり、選択者が非常に不健康であったり、おびえながら選んでいるのでなければ、かれは健康で成長する方向に向かって、懸命に選ぶことの方が多いだろう
アブラハム・H・マスロー「完全なる人間」p61
この仮説に必要となるのは下記2要素となります。
- 欲求解消のみでなく快楽的要素という観点も含め、経験による主観的な喜びをもたらすものへ選択が誘導される
- 主観的な喜びをもたらす成長は我々にとって良いものである
1つ目について補足すると、それ自体で喜びを得られる活動があれば、欠乏状態でなくても動物はその活動を選択する傾向にあるという理論と読み取りました。
成長が喜びをもたらすのであれば、その喜びが誘因性(人を成長に導く)を持つという主張に繋がります。
上記の仮説は多くの実験的裏付けがあるものの、大部分は動物水準であるため、人間の自由選択に関する研究・検証により、誤った愚かな選択をしてしまう理由を身体構造と精神力学の両面から調べる必要があることを筆者は主張します。
安全欲求の優位性
次に成長欲求と安全欲求間の関係性に筆者は着目し、それぞれの特徴から下記のように記述します。
成長への前進は、通例、少しずつ進められてゆくことは明らかで、前進の足なみはそれぞれ、安全であるという感情、安全な基地から無知のところへ進むという感情、後退ができるために、あえて強行するという感情によって可能になるのである。
アブラハム・H・マスロー「完全なる人間」p62
成長には新しいことへの挑戦が伴い、その挑戦には未知の世界への不安が付きまといます。
ここで安全欲求は成長欲求より優勢であり、成長のための挑戦を継続するためには安全が確保された状態かもしくは安全地帯に戻れるかが重要な鍵となるというのが筆者の主張となります。
安全欲求はより基本的な欲求であるため、安全が欠乏した時に人々は安全の確保・確保に走り、成長への興味や関心を失ってしまいます。言い換えれば、安全を感じる人のみが健全な成長へと進めます。
危機的な状況では、成長や挑戦どころではなく生存や安全確保が最優先となるというのはイメージしやすいと思います。
そのため前述のように成長の上での恐れを最小限にすることが成長を促す誘引となり、安全を実感できる環境を整備することも成長を促進するアプローチの1つとなります。
背水の陣のように危機的な状況により挑戦を強制するアプローチの成功例も聞きますが、その原動力は成長への喜びではなく生存が核となる点に注意が必要で、自主的であるかという点がより重要になると感じます。
自己による選択か、他人による選択か
次に、成長に向かう選択を誰がするかというポイントに議論が移ります。筆者は喜びを実感できる健全な成長を達成するには自身で選択することが重要であると主張します。
人はたとえ子どもであっても、みずから決断しなければならない。だれもそう度々かれに代わっても決断を下すことはできない。というのは、そのこと自体、かれを弱め、自信を切り崩すからであり、また、自分の衝動、判断、感情で、経験のなかから自分の内面上の喜びを感じとり、それらを、人から取り入れた基準と識別する能力を、麻痺させるからである。
アブラハム・H・マスロー「完全なる人間」p64
成長をできたとしてもそれが他者の選択によるものであれば、成長自体から得られる喜びやそこから得られる自信は限定的となり、長期的な成長に繋がりにくいと考えられます。
成長による恩恵を最大限に受けるには、その選択が自分自身でされたかが重要となります。
ここで自己の内面から湧き出た内的動機と周囲からの助力のバランスという検討点が出現します。一体どのようなサポートであれば本人の自主性を維持でき、逆にどのような態度をとると成長の恩恵を損ねてしまうのかがポイントになります。
そしてここでも、前述の安全欲求の優位性は大事な要素となり、筆者はその傾向が特に顕著となる子どもの段階での選択を例示します。
子どもにとって、自身の安全性確保における周囲の影響は非常に大きくなります。周囲の助力無しでは安全な環境を形成できません。
そのため、ある子どもが自身の意思と他者の意見を天秤にかける場面に直面した場合、他者の信頼を失うことは安全の確保に致命的な影響を与えるため、自己ではなく他者の意見を優先することが予想されると筆者は主張します。
もしも大人が子どもに、ある一つの(低次で強力な)致命的必要性をとるか、それともいま一つの(高次の弱い)致命的必要性を取るかの選択を強要したならば、子どもは自己や成長を断念するという犠牲を払っても、安全を選ぶに違いないのである。
アブラハム・H・マスロー「完全なる人間」p65
成長の恩恵を最大化し長期的な成長を促進するには、本人の選択という自主性が鍵となります。
しかし、その選択の上で安全欲求が与える影響は大きいため、他者の意見に依存した選択をしてしているケースも想定されます。
この状況では自分で選んでいるように見えて自身の気持ちを無視している状況となるため、自己実現や人格の確立という高次の欲求満足からは遠ざかる結果を導きます。
真の成長を達成するには、自身の気持ちに寄り添った成長動機に基づく選択をするために、選択者の安全等の基礎的な欲求が危険に晒されない安心感のある環境を形成することが重要であると考えられます。
安全なくして成長なし
ここまでの安全欲求と成長欲求の関連性の考察により、成長への誘因を高めるためには、まず安全・安心感の喪失を解決することが優先されると考えられます。
筆者は成長を導く教育者や支援者に求められる姿勢を下記の通り主張します。
われわれがかれの成長を助けようとすれば、(つねに安全を選んでばかりいると、ついには破局を迎えることになり、できれば味わうことのできる可能性をも失ってしまうことをわれわれは知っているので)そのときにできることは、かれが苦痛から助力を求めているのであれば、これを助けて苦痛をやわらげ、もしもそうでないとしたら、同時に安全だと感じさせて、新しい経験をこころみるようにはたらきかけることである。
アブラハム・H・マスロー「完全なる人間」p69
安心感が無い状況では、どれだけ成長の魅力を伝えても相手の気持ちは成長には傾きません。そのため、相手の状況に合わせた段階を踏んだ対応が求められ、まずは安心感の提供が優先される場面も少なくないでしょう。
そして、安心感を確保できて初めて、成長の促進、自主的な選択を促すという段階に進めます。
われわれはかれが成長するよう強要することはできない。われわれはただ、おだてたりすかしたりし、かれがさらによくできるようにすることができるだけである。そこでは、ただ新しい経験を積んだ場合にのみ、かれはよい好みをもつとの信頼感に立っているのである。
それを選ぶのはただかれのみである。だれもかれに代わってそれを選んでやることはできない。かれの役割になるとすれば、かれがそれを好まなければならない。かれがやらないなら、この際はかれのためのものでないことを、われわれはおおらかに認めねばならない。
アブラハム・H・マスロー「完全なる人間」p69
防衛の尊重
これまで、成長に向かう道には安全への欲求という人間の本能による恐怖にどう対処するかが重要であるという筆者の主張を整理してきました。
この安全のための防衛本能は成長に向かう上で逆行する力となりますが、この本能と向き合わないと成長の支援は実現できません。
防衛本能と向き合う上では、成長前に安心を確保するサポートのみでなく、場合によっては成長の過程で安全の回復に逆行することも許容する姿勢も必要であると筆者は主張します。
われわれは単に、かれを前進させるだけでなく、傷を癒し、実力を回復し、安全地帯から状勢を見渡し、以前に支配的であった「低次」の喜びに後退することを認めてやらなければならない。そうすることによって、成長への勇気を回復できるのである。
アブラハム・H・マスロー「完全なる人間」p70
これは目標からの遠回りを意味するので、非常にじれったい作業となりますが、安全への欲求の無視したサポートは対象者をいたずらに傷つけ消耗するだけの空回りとなる危険性が高まります。
成長欲求は自発的に生まれるため、より難易度の高い挑戦や成長を目指すようになりますが、より高い段階に挑戦する際には不満、失敗、不賛成、嘲笑と向き合うリスクも上がります。
このような逆境に直面しても継続して挑戦を選択するためには、失った安心感を回復するフェーズが成長の過程でも必要になるのです。
時には低次の欲求の解消への逆行も必要(低次から高次への一方通行ではない)という点は、意識に無かった点であったので自身の成長と教育の観点の両面で非常に学びとなりました。
まとめ-生命の心理学と生成の心理学の調和
筆者は自己実現に向けたより生きるための生命の(B)心理学と、欠乏や欲求不満を解消するための生成の(D)心理学という二つの心理学に着目します。
マスロー「完全なる人間」を図を交えて整理してみる_1筆者は各心理学の選別ではなく、各学派の調和による統合的な心理学の記述を目指しており、自己実現への重要な要素となる成長についての調和は筆者の目標の上で重要なポイントとなります。
今回は生成の心理学の上で重要な基本的な欲求となる安全欲求と、生命の心理学の目標である自己実現への原動力となる成長欲求を取り上げることで、成長を導く上での段階的な調和が見えてきました。
まずは相手が安全欲求の欠乏が無く成長に向かえる段階であるか確認し、必要に応じて欠乏欲求の解消という生成の心理学によるアプローチを試みます。
そして、安全を確保した後、成長への取り組みを安心感を持って自主的に選択できるようにするという生命の心理学によるアプローチを組み合わせることで、成長への後押しが可能となります。
また、成長の重荷に一見見える防衛本能も尊重し、必要に応じて安全の確保という前段階への退行も許容する姿勢が求められるという点は教育に取り組む上で非常に重要な観点だと感じました。
この成長欲求と安全欲求の関係性は、自身の人生、子育て、教育、組織作りの上で、成長を後押しする環境をいかに創るかを考える上で参考になるポイントとなります。
筆者は環境形成の上で果たせる役割を本章のまとめで下記のように掲示します。
環境(両親、治療者、教師)はいろいろなかたちで重要である。例えば、選択が最終的には子どもによっておこならればならないとしても。
a.環境は安全、所属、愛情、尊重というかれの基本的欲求を満足させることができる。そうすることによって、子供は不退転、自立、興味、自発性を感じることができ、そうしてすすんで知らないものを選ぶことが可能となるのである。
b.環境は積極的に成長の選択を魅力的で安全なものとし、退行の選択を魅力の無い効果に効果につくものとすることにより、子どもを導くことができる。
アブラハム・H・マスロー「完全なる人間」p75
以上第4章「防衛と成長」の整理でした。
次回は第5章「知ろうとする欲求と知ることのおそれ」を整理していきます。
それではまた次の記事で!