マスロー「完全なる人間」を図を交えて整理してみる_18

どうもです!アブラハム・H・マスロー氏「完全なる人間-魂のめざすもの」をテーマとして、読書日記をまとめています。

前回より第Ⅳ部「創造性」第10章「自己実現する人における創造性」を整理しており、取り組み方姿勢という過程に着目した「SA(自己実現)の創造性」という筆者の提唱した概念を学びました。

今回はそのような創造性、そして創造性を持つ人が示す「統合性」という特徴に着目して整理します。

創造性を持つ人が示す「統合性」

本書での「統合性」とは一見矛盾・対立する二つの要素の境界を曖昧にし、同居させる能力を指します。

筆者はこの能力を偉大な画家理論家の例を出し下記のように描写します。

しかしこれはまさに偉大な画家のやることである。かれは調和しない色彩を集め、たがいに対立するあらゆる種類の不調ななかたちに統一を与えることができるのである。さらにこれはまた、われわれが当惑するような一貫しない事実を、実際は同じものであることが分かるようまとめてくれる場合の偉大な理論家のおこなうこともある。

アブラハム・H・マスロー「完全なる人間」p178
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画家で言うと単一・具体的ではなく複数視点からの描写・抽象化を試みるキュビズムに挑戦したピカソがイメージとして浮かびました。

一見交じり合わせない要素を調和させることは、これまでにない新たな発想を意味するので創造性との関連が深そうです。

それでは具体的にはどのような統合がされるのか、そして統合性を発揮する人はどのような特徴を持つのかについて整理していきましょう。

二分法の統一

我々は世界を二種類に分類するのを好む傾向があります。善か悪か、良いか悪いか、敵か味方か、有意義か無意味か、新しいか古いか、嘘か真実か、表か裏か。

一つの判断軸で世界を分類する二分法は非常にシンプルで、物事を理解・説明する上で非常に便利です。

しかし、この分類方法では両端の要素は同居できず、二者択一もしくはその中間のどこかという限定的な認識・表現となるでしょう。

二分法では、両端の要素の両立は出来ない

一方で自己実現者は、この二分法では説明できない、両属性の融合を実現させている点に筆者は着目します。

例えば、筆者の調査に協力した自己実現者は、それぞれ相反していそうで両立の難しい利己主義利他主義という両方の要素を融合して示していたのです。

わたくしの被験者は、利己的なものと利己的でないものとが矛盾し、たがいに背反すると考えること自体、低い水準の人格発達の特徴を示すもの、と認めるよう対立をまとめたものである。

アブラハム・H・マスロー「完全なる人間」p177

利己主義と利他主義の同居は以前本ブログで整理したエーリッヒ・フロム の「自由からの逃走」内でも記述がありました。

自身の自由を健全に(積極的な自由を)活用できる人は、他者や組織への貢献や他者との結びつきという自発的かつ利他的な活動が、その過程における創意工夫個性の発揮による充実感を増す利己的な活動にも該当します。

他者への貢献という利他的活動が自身の充実感に繋がる利己的活動と同居する

このような一見交じり合わない要素を調和する能力が、自己実現をする人が持つ創造性の特徴となります。

そして筆者はこのような統合する能力に必要な要素として個人の精神的統合性を重要視します。

創造性と自己受容

筆者は自己実現する人の特徴として、あまり恐れることがないという点に着目します。

この恐れの観点は、他者からの意見や要求に影響されにくく、依存することも恐れすることも少ないという点も含みます。

これは自身のコントロール力自発性を増す要因となるため、個性や創造性を自由に発揮するために重要なポイントといえるでしょう。

しかしそれ以上に筆者が重要視するのは、自分自身を恐れていないという点です。

多くの人は自分の認めたくない部分抑圧している本音・衝動を持ちます。しかし、自己実現した人々はそれらの部分も含め自己を受容している傾向があることを筆者は指摘します。

かれらは平均人以上に自己を受け容れていた。自分の深層にある自己を認め、受け容れると、世間の現実の姿を大胆に見ることができるようになり、またかれの行動は自発的なもの(中略)となる。

アブラハム・H・マスロー「完全なる人間」p179

自己実現に達しない人々は自己を認めることによる葛藤や苦難を恐れ、自分自身を抑圧します。

自己実現をした人々では、自分の中での内戦は解消され、内部分裂せずに自身を最大限発揮できるようになり、その結果、一見相反する要素を統合するような創造性の発揮に繋がります。

これらの記載から、自分が何をしたいのか自分にできること苦手なことは何なのかどうすればしたいことを達成できるのかについて、目を背けずに向き合う(内省)時間を設ける重要性を再確認できました。

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最近達成感を中々得られないことに悩んでおり、表面的な活動に時間を取られすぎていて、自分と向き合う時間や自分のための大事な活動に時間をさけていないことが原因ではないかと本書を読んでいて感じました。

一次的、二次的、統合された創造性

一次的創造性

筆者はここで創造性を一次的二次的創造性という言葉で表現しなおします。

一次的創造性は創造性の起源に関連する心理的な過程に着目した創造性となり、ここまで筆者が着目してきた「SA(自己実現の)創造性」に相当するものとなります。

筆者は現実や社会に上手く適応しようとした結果生まれる本音と建て前の自分の分裂、そしてそれを回避するための自己の衝動の抑圧による問題について指摘します。

現実界によく適応することは、人間の分裂意味している。だがそれが危険であるため自己の衝動を自分のうちに撤収する。しかし、そうすることによって、かれはまた明らかに多くのものを失うことになるのである。というのは、このような人間性の深層はまた、すべての喜びの根源でもあり、遊び、愛し、笑い、われわれにもっとも大切な創造的になる力の源泉でもあるからである。自己のうちの地獄から自己を守ることによって、自己のうちの天国を失うことになる。

アブラハム・H・マスロー「完全なる人間」p181

社会に適合しづらい自身の本心には、不適合の苦しみのみでなく喜びの源泉も含まれているため、社会への適合を目的としたこの部分の抑圧自身の幸福の制限にも繋がると筆者は指摘します。

一方で、自身の衝動が抑圧も忘却もされずに自身に受け容れられる時に人格が統合されるまでを一次的過程と筆者は呼び、「SA(自己実現の)創造性」を生み出すために必要な過程となります。

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ここでも社会か自分かの二元論ではなく、個性の発揮と社会への貢献を結びつけることで両立を実現するという、相反しそうな要素を統合させるという自己実現する人の特徴が見受けられますね。

二次的創造性と統合された創造性

次に筆者は偉大な作品等に見られる二次的創造性について言及します。つまり、一般的に創造性と聞いてイメージされるものを指します。

筆者は偉大な作品には非凡な才能と下記のような二次的な過程が必要であると指摘します。

  • 慎重さ
  • 批判
  • 厳しい考察
  • 用心
  • 現実の検証

自己受容により到達できる一次的創造性に対し、二次的創造性は更に上記のような厳しい自己評価自己を超えた更なる統合を経て初めて偉大な作品として達成できると筆者は主張します。

一次的創造性と二次的創造性が生まれる過程
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ただ自身の統合のみでは、偉大な作品にはたどり着かないということですね。逆に自己評価が厳しすぎて自己受容ができなくなったり、他との統合を意識するあまり自己の統合が崩れると、創造性や創造へのモチベーションが低下してしまうという点も注意が必要そうです。

また、筆者は二次的創造性の例として大多数の世間にある生産物、建築物、多くの科学的実験や文学作品があることを示します。

これらはいずれも本質的に他人の構想を統一し、発展させたものであり、双方の形式の過程を上手に融合し、系統化立て、活用する創造性を「統合された創造性」と筆者は呼称します。

偉大な作品においては、他者の構想を組み込んだより大規模統合が必要であることが示唆されます。

終わりに

以上、第Ⅳ部「創造性」第10章「自己実現する人における創造性」についてでした。

この章では、創造性とは結果や作品を元に判断される従来の創造性のみでなく、自己受容により日常で誰しもが発揮できる「SA(自己実現の)創造性」という概念が提唱されました。

そして、この「SA創造性」は結果ではなく、取り組み方やその姿勢という過程によりもたらされる創造性となります。

また、自己受容を前提とした「SA創造性の発揮」とは、人々の本質的な特徴の表現であり、各人の性格学的特性や個性が発揮されるため、人格の確立・自己実現にも繋がる要素となりそうです。

創造性と聞くと敷居が高いと感じますが、SA創造性は自分の衝動を恐れず向き合い受容することにより、どんな職業でも誰でも実現できる創造性となるので、より身近なものとして取り組み方を検討できます。

過程や取り組みに着目した日常生活で発揮される創造性、SA(自己実現)の創造性の存在を指摘

次回は第Ⅳ部「価値」に入り、人間としての価値それを支える要素について整理を進めていきます。

それではまた次の記事で!

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