読書日記-有名な小説「罪と罰」を読んでみる(下)前半

引き続きドフトエフスキー「罪と罰」(岩波文庫)を読んでいきます。今回はいよいよクライマックスの下巻です!

琴線に触れるフレーズや場面が多くて一気に読んでしまいました。正直中巻の日記を書いている途中で読破してしまいました笑

ただ、この辺りから結末のネタバレも増えてくるので、まだ読まれてなく、内容が気になった方は続きを見る前にぜひ本書を手に取ってみることをお勧めします!

今回も前後半に分かれてしまうほど長くなりそうなのでささっと本題に入っていきましょう。

登場人物:今回の記事に関係する人と情報に限定(岩波文庫より引用)

  • ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフ:前編の主人公。貧しい大学中学生。
  • プリヘーリア・アレクサンドロヴナ:ラスコーリニコフの母
  • アヴドーチヤ・ロマーノヴナ:ラスコーリニコフの妹。 ドゥーニャは愛称
  • セミョーン・ザハールイチ・マルメラードフ:ラスコーリニコフが酒場で出会う退官官吏
  • カチェリーナ・イワーノヴナ:マルメラードフの後妻
  • ソフィア・セミョーノヴナ・ マルメラードフ:マルメラードフの娘。愛称ソーニャと呼ばれることもある。
  • ドミートリイ・プロコーフィチ・ラズミーヒン:ラスコーリニコフの大学の友人
  • ピュートル・ペトローヴィチ・ルージン:ドゥーニャ(主人公の妹)に求婚する弁護士
  • アンドレイ・セミョーノヴィチ・レベジャートニコフ:ルージンの友人
  • アルカージイ・イワーノヴィチ・スヴィドリガイロフ:地方の地主。ドゥーニャが家庭教師として住みこんだ家の主人
  • ポルフィーリイ・ペトローヴィチ:予審判事

気になったフレーズ

第5部 :ルージンの企み、マルメラードフの追善供養、主人公からソーニャへの告白、供養後の悲劇

p31:ルージンとレベジャートニコフとの会話

より高尚とはなんです?人間の活動を評価するのに、そういう言い方を使う意味がぼくにはわかりませんね。「より高尚だ」とか、「より寛大だ」とかいうのは、みんなくだらないナンセンスで、ぼくが否定する、古くさい偏見にみちた言葉ですよ!人類にとって有益なものだけが、高尚なんです!-レベジャートニコフ

罪と罰 下巻

作品中では低俗で、あたまのにぶい男として描かれ、登場人物で友人という紹介をされるルージンからも見下されているレベジャートニコフの発言ですが、このセリフは現代でも重要度が高いと感じたのでピックアップしました。

正直、なにが「人類に有益」かという定義は単純化できないのと、人類だけの有益を考えることが適切と言い切れないため、この評価基準のみで判断することは危険であると思います。


だいたいこうゆう時の人類は「自分たちの所属する」という接頭語が隠れている気がします。

しかし、価値観が多様化し、複雑さと変化が加速する現代では、空虚な威厳名誉表面上の行動があたかも価値のある素晴らしいもののように取り扱われることも少なくありません。

そのため、何を優先するべきか迷った時に、本当に有益なものかという吟味を挟むことで複雑化し過ぎた情報を整理し、本質的に価値のないものや逆に有害なものを排除することが可能となります。


あくまで選別の補助的な役割であり、最終判断の決め手とはならないとは考えています。

p46:マルメラードフの追善供養

ただ「よそさまに負けない」よそさまに「うしろ指をさされまい」一心から、精いっぱい気張って見せ、なけなしの貯金を一カペイカもあまさずはたいてしまうようなことにもなるのである。-カチェリーナについて

罪と罰 下巻

貧困に苦しむカチェリーナが、主人公からもらったお金の大半を追善供養に注いでしまう理由を考察する中での文章です。

見栄や世間体という本質とは遠い感情的なもののために身を削るというのは、まさに1つ前のレベジャートニコフの発言のセリフが響く行動となります。

実際に、カチェリーナは自分の理想や誇り、見栄に対する固執からくる言動でトラブルを起こし、自身の身を滅ぼす悲劇を招いてしまいます。

しばしば短期的な欲求や本能に悩まされますが、その先に得られるものが本当に自分にとって有益なものなのか長期的で現実的なものなのかを評価することによる抑制が大事となります。


難しいのは人間は集団の中で生きる生き物なので、周りからの評価や評判も価値が無いものと切り捨てられないことですね。

p105:主人公からソーニャへの告白

すべては「社会的な境遇とそこにありがちの習慣」に根ざしているんですよ。さっき、そのことがわかったでしょう?-主人公

罪と罰 下巻

ちょっと解釈が難しかったので今後の振り返り用にピックアップしました。

ソーニャはルージンの罠により冤罪をかぶせられかけます。その後、ソーニャの部屋を訪れた主人公のセリフです。

社会的な境遇とはソーニャの不幸な立場でしょうか。また、ありがちの習慣とは弱者が一方的に利用され、虐げられるという、資本主義で重要な課題となる格差も含んでいるでしょうか。

ルージンはまさに上巻のp304で、資本主義にもとづく個人主義を語っていました。「まず何ものよりも先におのれひとりを愛せよ。」と。

ルージンの自分の利益のための行動は社会の基盤を支えるどころか、弱者を虐げる行動をしているのですから、彼の言動の薄っぺらさを筆者が示唆したセリフと考えられるのであれば興味深いと感じます。

また主人公の無神論の立場と考えると、ソーニャに神の救いなどないと、聖書ではなく自分の思考へ傾倒するように意図したセリフでしょうか。

p117:主人公からソーニャへの告白

あなたはこの世界のだれよりも、だれよりも不幸なのね!-ソーニャ

じゃ、きみはぼくを見捨てないんだね、ソーニャ?-主人公

ええ、ええ。いつまでも、どこへ行っても!-ソーニャ

罪と罰 下巻

主人公が自分の罪をソーニャに打ち明けた後のセリフです。

告白を受け止めてソーニャは主人公をだれよりも不幸な存在と嘆きます。これは解説によると囚人を「不幸な人」ととらえ施しを与えるロシアの風習が関係しているようですね。

ソーニャは主人公に抱きつきながら泣き、それに呼応するように主人公の目にも涙が浮かびます

中巻で自分と同じ罪な存在で唯一の必要な存在であるととらえていたソーニャに、数日間抱えていた罪の告白を受け止めてもらえたことにより、主人公に元の人間らしい感情が戻った場面と読み取りました。

主人公としてはふみ越える存在という世界から孤立する道への唯一の伴侶を欲していたように感じましたが、ソーニャの存在によりむしろ現実の世界や元々の感情を取り戻すような真逆の結果につながったようで印象でした。

p120:主人公からソーニャへの告白

わからない・・・・・ぼくはまだ決めていないんだ、その金を取るか、取らないか-主人公

罪と罰 下巻

主人公は計画により手に入れたお金を地中に埋めて手をつけていません。

これは一見、証拠隠ぺいのためと考えていましたが、このセリフから別の目的があるのではと考えたのでピックアップしました。

これはお金を使うかどうかを単純に迷っているのではなく、犯した罪の自分の中の立ち位置の決定を迷っていると感じました。

他者から見れば犯した罪は変わらないのですが、本人からすると重要な違いがあるようです。

このような第三者からは理解しがたい複雑な犯罪者の心理という点も筆者が描きたかった点でしょうか。

p127:主人公からソーニャへの告白

しらみでないことは、ぼくも知っているんだ

もっとも、ぼくは出まかせを言っているんだよ、ソーニャ

もうずっと前から出まかせを言っている・・・・・今のが全部ちがっているというのは、きみが言うとおりさ。原因は全然、全然、全然べつなんだ!・・・・・ぼくは長いことだれとも話をしなかったんだ、ソーニャ・・・・・ぼくはいま、ひどく頭が痛い-主人公

罪と罰 下巻

社会からの隔離が、主人公の思考における現実逃避行動の逸脱を引き起こしたと示唆するセリフと感じました。

社会からの隔離による無力感孤独感自分の生きる意味人生の目的を見失わせる原因となります。

いかに社会との関わりを維持するかという点は現在のCOVID-19による影響でケアの重要性が増した問題でしょう。

主人公は価値のない人間をしらみと呼称し、自分は特別な存在であることの証明のために計画を実行したと示唆する言動が見られます。

しかし、その後、中巻で自分は特別な存在でもなく、むしろその中でも醜悪な存在であると卑下します。

この段階では、それらのそもそもの前提「他者が価値のない存在という考え」が間違っていることを認める重要なセリフと感じました。

p131:主人公からソーニャへの告白

ぼくにはふいに、太陽のようにはっきりと見えた、つまり、どうしていままでただのひとりとして、こうした不合理のそばを通りながら、その尻尾をつかんで、ぽいとほうり捨てるという、実に簡単なことさえ、思いきってやろうとしなかった、いや、今もしていないのか!(中略)ぼくはね、ソーニャ、ただ思いきってやりたかったのさ。それが原因のすべてだ!主人公

罪と罰 下巻

権力や名誉、大きな目標の達成には、現実に即した堅実な考えが重要であり、瞬発的な1度の行動で手に入れることはできないというメッセージと個人的に解釈したセリフです。

これは、すぐに結果がわかりそうな取り敢えず実施できることばかりに手を出し、本当に必要な日々の努力を怠りがちな自分への自戒のように感じてピックアップしました。

現実ややりたくないことから目をそらさず、自分の行動と習慣が自分の本当に目指したい将来に役に立っているか、という定期的な振り返りが必要と考えます。

p136:主人公からソーニャへの告白

苦しみを受け、その苦しみによって自分をあがなう、それが必要なのです-ソーニャ

いやだ、ぼくはあの連中のとこには行かないよ、ソーニャ-主人公

じゃ、これからどうやって、どうやって生きていくの?何をたよりに生きていくの?(中略)でも、どうして、どうして人間なしで生きていけるの!あなたはこれからどうなってしまうのかしら!-ソーニャ

罪と罰 下巻

ソーニャへ罪を告白をしながら、自首、そしてその先の懲役という道には抵抗を示す主人公。そんな主人公を諭し背得するソーニャのセリフとなります。

ふみ越えた存在として、現実の世界、家族を含めた人間との交流から逃げようとする主人公に対し、ソーニャはあくまで贖罪により現実の世界を生きることを説得しているととらえました。

また、ソーニャにとっては罪を償うことすら自分の生きる目的ととらえているように感じ、ソーニャの健気で哀しい強さを感じるセリフで印象的でした。

p149:妹との会合後の主人公

だが、あれのほうはもちこたえられるだろうか、どうだろうか?いや、もちこたえられまい。ああいう人間はもちこたえられないものだ!ああいう人間はもちこたえたためしがない・・・・・-主人公

罪と罰 下巻

ソーニャとの会合後に、妹と再度逢瀬します。

その別れ際、抱きしめキスをしようか迷いますが、踏み切れずにそのまま別れてしまいます。

このセリフはその直後のもので、ソーニャと妹の比較をしているようです。

妹のドゥーニャは誇りが高く、自分が間違ったと思うことには抵抗し、自分の道を曲げません。

家族のために娼婦となり「罪の女」となったソーニャに対し、罪を知らない妹は主人公の犯した罪を受け入れらない存在として対比していると考察しました。


主人公や家族のために妹がルージンと結婚するという、自己犠牲の道を阻止したのは主人公という点も特筆すべき点かもしれません。

p168:カチェリーナの悲劇

もうたくさん!・・・・・お別れだよ!・・・・・さよなら、ふしあわせなソーニャ!・・・・・みなでやせ馬を乗りつぶしたんだ!・・・・・・もうつづかないよォ!-カチェリーナ

罪と罰 下巻

カチェリーナの最期のセリフです。カチェリーナは自分たちの生活のために娼婦という道を選ばせてしまったソーニャに対して「乗りつぶした」と表現しました。

ピックアップした理由は「やせ馬」という表現です。上巻の夢の情景に登場する「老牝馬」との対比ではないかと考えました。

計画実行前に見た夢の情景で、少年であった主人公は老牝馬を守れませんでした。その後計画を実行して罪を犯します。

一方、主人公はソーニャに対しては、ルージンからの企みに晒されている絶体絶命の場面を救い、また同じ罪の存在としての伴侶として、彼女に生きる役割を与えたという見方もできます。

すると、主人公はソーニャが本当につぶれてしまう前に守ることができたのかなと考え、独りで感動したためピックアップしました。

下巻前半の第5部はここまでとなります。

果たして、主人公の最後の選択はどうなるのか、贖罪か逃亡かそれともまた別の選択肢か、ようやく物語は最終局面です!

それではまた次回の記事で!

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