前回に引き続きドフトエフスキー「罪と罰」(岩波文庫)の中巻を読んでいきます。
妹の婚約者のルージンや 予審判事のペトローヴィチとの駆け引きや攻防が印象的です。
いつも通り、簡単に登場人物をおさらいしてから、気になったフレーズや場面をピックアップしていきます!
登場人物:今回の記事に関係する人と情報に限定(岩波文庫より引用)
- ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフ:前編の主人公。貧しい大学中学生。
- プリヘーリア・アレクサンドロヴナ:ラスコーリニコフの母
- アヴドーチヤ・ロマーノヴナ:ラスコーリニコフの妹。 ドゥーニャは愛称
- セミョーン・ザハールイチ・マルメラードフ:ラスコーリニコフが酒場で出会う退官官吏
- カチェリーナ・イワーノヴナ:マルメラードフの後妻
- ソフィア・セミョーノヴナ・ マルメラードフ:マルメラードフの娘。愛称ソーニャと呼ばれることもある。
- ドミートリイ・プロコーフィチ・ラズミーヒン:ラスコーリニコフの大学の友人
- ピュートル・ペトローヴィチ・ルージン:ドゥーニャ(主人公の妹)に求婚する弁護士
- アルカージイ・イワーノヴィチ・スヴィドリガイロフ:地方の地主。ドゥーニャが家庭教師として住みこんだ家の主人
- ポルフィーリイ・ペトローヴィチ:予審判事
気になったフレーズ
第4部: スヴィドリガイロフの訪問、家族とルージンとの会合、ソーニャの部屋への訪問、警察署におけるポルフィーリイとの対決
p204 主人公の部屋を訪れたスヴィドリガイロフとの会話のシーン
なぜなら健康な人間はもっとも地上的な人間だから、その充足と秩序のためにも、もっぱら地上の生活を生きなければならない。しかし、その人間がちょっとでも病気になり、人体組織のなかの正常な地上的秩序がちょっとでも破れると、たちまちべつの世界の可能性が現われはじめる。で、病気が重くなればなるほど、別の世界との接触もひろがる。そして、人間が完全に死ぬと、今度はすっかりべつの世界に移っていく。-スヴィドリガイロフ
罪と罰 中巻
スヴィドリガイロフがドゥーニャへの逢瀬を要求する中でのセリフです。
話がしきりに脇道にそれ、内容も不確かな要領を得ない発言でのセリフということもあり、空想的なセリフですが、このときの主人公の状況を言い表しているように感じてピックアップしました。
この時の主人公は身体的な熱病という観点からも、「計画」に至る思想的な観点からも病的な状況であり、学業も仕事もせずに交友も避けてまわりを見下した状態は、地上の生活を放棄していると考えられます。
社会から隔離されることによる危険性、現実を生きることの重要性がこめられたセリフであると感じました。
また、このべつの世界という表現が、エピローグにある「一つの世界から別の世界へと徐々に移っていき」という表現とリンクしているように感じ、面白かったです。
新しい世界という言葉はエルサレムという考えも影響しているのでしょうか?
p248 ルージンとの会合後のシーン
ほんとに、ドゥーニャ、その三千ルーブリがなかったら、わたしたち、いまごろどうなっていただろうねぇ!-プリヘーリア
罪と罰 中巻
ルージンの言動が原因で婚約が破談となった後のシーンです。
結婚には、経済的安定という目的が含まれていたこと、スヴィドリガイロフから伝言された三千ルーブリの存在が、ルージンに対する強気の態度を後押しした可能性を示唆しています。
そう解釈すると、悪の存在として描かれるスヴィドリガイロフの登場が、結果的にドゥーニャを自己犠牲の選択から救っているのが興味深いと感じました。
ただ、これは深読みであり、純粋に現在のほぼ所持金がない状況を嘆いているだけの可能性もありますが笑
p255 ルージンとの会合後のシーン
だけど、いまは、ぼくを愛してくれるなら、縁を切ってくれ・・・・・でないと、ぼくはきみたちを憎むことになる、ぼくの感じでは・・・・・さよなら!-主人公
罪と罰 中巻
ルージンとの一件がほぼ解決し、同席したラズミーヒンが未来に対する希望にあふれた提案をした直後に主人公は退室しはじめます。その様子におどろきとめようとする母と妹にたいしてのセリフとなります。
母と妹の存在が主人公の決断に大きな影響を持っていることが、他の場面でも読み取れます。
この発言はその要素、ふみ越えるための障害を排除しようとしているのか、犯罪者の家族という汚名をきせることを危惧して遠ざけようとしているのか、それとも別の理由によるのか、興味深い場面でした。
個人的には、現実世界を放棄しようとしている主人公にとって、現実世界に引き戻す唯一の存在が家族なのではと考えます。
そのため、現実ではない世界へ進むと、感情が反転し、愛が憎しみになるのかなと考察しています。
p276 ソーニャの部屋への訪問
どうしてきみのなかには、それほどのいやしさが、まるで正反対の、神聖な感情と同居していられるんだ?だって、さっさと頭から水のなかに飛び込んで、一思いにきりをつけてしまうほうがずっと正しいじゃないか、千倍も正しくて賢明じゃないか!-主人公
罪と罰 中巻
自分自身を売り、それでも貧困な家族の状況を根本的に解決することはできない、それでもそこから逃げずに生活を続けることがなぜできるのか。
聖書における「罪な女」という点で、主人公は自分と同じ罪な立場とソーニャをとらえているようです。しかし、その一方で神聖性が同居しているという相反に疑問を投げかける場面です。
父親が亡くなった今、この家族は全員ソーニャにとって血がつながっていないという点もポイントになりそうですね。
主人公が理解に苦しんでいる相反する性質の同居ですが、主人公も有り金すべてを他人の葬儀代に差し出したり、妹の不幸な婚約を阻止したり、罪と善性が同居している不思議な状況であるという共通点はあると思いました。
p291 ソーニャの部屋への訪問
だってきみも、同じことをしたんだろう?きみもふみ越えた・・・・・ふみ超えることができたじゃないか。きみは自分で自分に手を下した、きみはひとつの生命をほろぼした・・・・・自分の生命をね(中略)しかし、きみには耐えきれまい、ひとりぼっちになれば、きみはぼくとおなじように気が狂ってしまうだろう。いや、いまだってもう、きみはだいぶ狂っている。だから、ぼくらはいっしょに行かなくちゃいけないんだ、同じ道を!行こう!-主人公
罪と罰 中巻
娼婦になることを自分に手を下したと解釈した主人公が、ソーニャと自分は同じ立場であり、同じ道を行くべきだと説得するシーンです。
この段階では主人公も同じ道とはなにかを特定していないようですが、下巻にはまさに同じ道を歩むシーンが出てきており、予言のようなセリフとなっています。
第三者からみると主人公の利己的な行為と同じにされるのはたまったもんじゃないといった感じですが、物語としては非常に重要なシーンであると思います。
家族と縁を切る発言をしたのち、自分と境遇が同じであると考えたソーニャを本当に必要な人間として訪ねるという段取りが印象的でした。
これらの行為は現実世界からの決別と、罪の世界への完全な移住への決意の表れと感じました。
また、そのような世界へふみ越えた存在となっても、一人では耐えられないという主人公の人間臭さも印象的です。
p312 警察署におけるポルフィーリイとの対決
その男をあせって勾留してしまうと、たとえそれが犯人に間違いないという確信が私にあっても、かえって相手をそれ以上追及する手段を自分で自分から奪ってしまうことになりかねんのですな、なぜかって?つまり、なんというか、相手の立場を一定させてしまって、いわば心理的に安定させ、落ちつかせてしまうからなんです。そうすると相手は、私から逃れて自分の殻のなかに閉じこもってしまう。-ポルフィーリイ
罪と罰 中巻
ポルフィーリイ が自分流の証拠の入手方法を主人公に説明する場面です。ここでいう「相手」は主人公ですね。
主人公の計画実行後の証拠を自分で作り出すような不可解な言動の理由を示唆するセリフです。
いつ勾留されるか、警察が自分を疑っているのかが分からない状況は主人公を疑心暗鬼に追い込み、確実に苦しめていました。
この辺りは筆者の犯罪者の心理描写という観点において、重要な箇所であると感じました。
なぜ警察が怪しい言動を繰り返していた主人公を勾留しないのか、泳がせおくのかという意図もわかりますね。
p355 中編の最終場面
『さぁ、戦いはこれからだぞ』階段を降りながら、彼は憎々しげな微笑をうかべた。この憎悪は彼自身に向けられたものだった。彼は自分の『弱気』を軽蔑と羞恥の入りまじった気持ちで思いだしていた。-主人公
罪と罰 中巻
警察署からの帰宅後に、突然の訪問者からの供述で警察がまだ確定的な証拠を握っていないことを確信した後の場面となります。
ここは解釈が難しく、その分、非常に印象に残りました。
戦いは逮捕から逃げることか、どう自分自身に決着をつけるかという解釈が可能と考えますが、後半部分で自分自身への嫌悪が見られることを考えると、 逮捕から逃げることを指していると考えます。
警察が証拠を握っていないということから、逮捕を回避できるかもしれないという希望で元気になる主人公。
未だに捕まらないでいたいという願望で自首等の最後の決断へふみ越えられないでいる自分の弱い部分をそこから自覚し自嘲していると解釈しています。
おわりに
ようやく、中編に関する読書日記をまとめることができました。
気になるフレーズや場面が多すぎて、まさか前後半に分かれるとは思いませんでした・・・。このままだと下巻も前後半でしょうかね?
中巻では思想の世界にこもったり、現実逃避をするのではなく、現実の世界を生きる重要性を感じました。
主人公は計画実行後に別の世界に移行しようとしているように最初感じましたが、この計画実行の引き金には世界からの孤立がそもそもあったのではないかと考えます。
大学を辞めてから物語が開始するまでの主人公の心境の詳細は記載されていませんが、自分の将来への絶望感の中、現実の表世界からの断絶を感じていたのではないかと思います。
この世界から取り残されたような宙ぶらりんの状況を打破して、完全に現実ではない別の世界へふみ越えるために計画に及んだという解釈もできると思います。
主人公の犯行の動機に対する供述より、現実世界への復帰という目的が主かもしれませんが。
計画実行後に彼の論文が雑誌に掲載されていることが分かりますが、これが事前に分かっていれば世界とのつながりや自分の可能性を再認識し、計画実行を中止、すくなくとも保留されていた可能性はあったのではないかと推測します。
この孤独と無力感が原因と仮定すると、現実の世界を生きる上で大事な要素としてはコミュニティへの所属と人とのつながりでしょうか。
主人公は元から他人との交流を避けていたことも、この孤独感を加速させた原因と考えます。
内向的で行動に消極的な私にとって、人との交流を大事にする。思想のみでなく現実を変えるための適切な行動に移す等、気を付けないといけないことが多いなと感じました。
物語はいよいよクライマックスですね。主人公はふみ越えることができるのか、できないのか、そして、万が一ふみ越えられたとする場合は、何を意味してふみ越える先には何が待っているのか?
それではまた下巻の日記で!