どうもです!アブラハム・H・マスロー氏の「完全なる人間-魂のめざすもの」をテーマとして、読書日記をまとめています。
前回は第8章「B認識の危険性」より、B認識のみでは生活が成り立たなくなってしまうこと、D認識も自己実現に必要、むしろ自己実現者でも大部分はD認識を用いていることを学びました。
そして紹介された危険性に注意して、場面に応じて適切な姿勢と認識の選択をする必要性を学べました。
今回はいよいよ第Ⅲ部「成長と認識」の最終章、第9章「概括されることへの抵抗」を整理していきます!
筆者はカウンセリング等の治療現場を前提として本章を記載していますが、我々の日常生活でも注意しなければいけない点が含まれていると感じたので、どのように活かせばよいかについても最後に自論を追記しています。
それでは早速本題に入りましょう!
概括とは何か?
まず題名となっている概括とは何でしょうか?
日常生活で使用する機会の少ない言葉ですが意味は漢字のままのようで、概ねの観察により対象を一括りに分類することです。
筆者曰くこの概括とは、注意深い観察を伴わない安易な認識の方法となります。
(前略)認識の安易な方法として、概括されることを述べてきた。つまり、注意深い個別的観察あるいは思考に求められる努力を不必要にしようとするはたらきから、実際に認識をしないで、早急で容易な分対のかたちをとることである。
アブラハム・H・マスロー「完全なる人間」p161-162
これまで取り扱ってきたB観察は多角的で注意深い観察となるため網羅的で本質的な認識となる一方で時間が掛かり、人によっては骨の折れる作業と感じるでしょう。
骨が折れると感じる場合は、目的ではなく手段としての観察となるので、B認識とは呼べなくなるでしょう。
相談や指導が必要な立場で問題を効率的に解決しようとすると、対象の観察や判断を時短しようという衝動が生まれ、概括という安易な認識が用いられると推測します。
特に忙しい時は意識をしないと一人一人に向き合う時間は少なくなってしまいます。
この概括というアプローチはもし認識時間を短縮でき問題解決を効率化できるのであれば有効だと思いますが、筆者は本章のタイトルの通り概括は対象に抵抗を生むと問題点を指摘します。
概括による抵抗とは?
それでは本章のタイトルとなっている「概括による抵抗」とはどのような状態を指すのでしょうか?
筆者は概括された対象は問題の解決どころか、下記のように個性や特徴を無視されることによる不快感を生むことを指摘します。
ここで主題とするところは、治療場面における「抵抗」の一つの原因に、概括されたり、不用意に分類されること、つまり、彼の個性、独自性、他との相違、特殊な同一性を没却されることに対する患者の健全な嫌悪がある、ということである。
アブラハム・H・マスロー「完全なる人間」p161
概括では認識のプロセスが簡略化されるため、性別・人種・職業などの表面的な要素のみで対象を分類することになります。
この観察は対象者からすると、個性や独自性等のその人の人格を構成する重要な部分が無視されていることを意味します。
同じ要素を有する集団と一括りにされると、自分という個人が無視されたような悲しい感覚やいらだちを覚えるというのは皆さんも経験があるのではないでしょうか?
「最近の若者は~」に代表する雑なラベリングがその一例ですね。誰しも独立した人格ではなく、若者Aのような雑なカテゴライズをされれば不快感を覚えるはずです。
人は自分自身のあるがままを理解してほしい、自分を個人として認めてほしいという欲求を持っています。
そのためこのような安易な認知を受けると、人は自分を見てもらえない、個人としての自分を無視されているという思いから不快感を覚えると筆者は指摘します。
カウンセリング等の現場での概略は、患者の不快感、憤激という抵抗を生み、治療・ケアの失敗に繋がります。
治療現場でも注目される独自性の重要性
このような概括は教科書を覚えたてで問題解決を急ぐ初心者のカウンセラーでみられがちであると筆者は例示します。
彼らは問題の解決をしようと教科書で覚えたパターンに患者を当てはめがちであるため、表面的な情報で分類をしようと概括する傾向が見られます。
このような治療者に対し、患者は自己を守らなければいけないと筆者は主張します。抵抗はこの自己防衛にも役立つ側面があります。
過去の精神医学の治療現場ではこの傾向は全体的に見られ、個人を教科書のどのパターンに当てはめるかという診断が治療の第一ステップとして注力されていた時期もあったと筆者は説明します。
しかし、現場の臨床経験が積み重なるにつれて教科書通りの患者はどこにもおらず、心理療法の治療においては単純な分類が役に立たないことがわかってきました。
そして、患者を単独で独自の人として取り扱うことの重要度が増してきました。筆者はこの傾向を概括に対する反対の意思表示と表現します。
このことは現在カウンセリングで傾聴や共感が重要視されていることと繋がりますね。
本章を生活に活かすなら?
筆者は主にカウンセリング等の治療の場面において、概括されることの抵抗を取り扱っています。
しかし、この内容は治療現場を離れた日常での相談の場面やコミュニケーションでも気をつけなければならないポイントであると感じています。
人は不明なことや問題点の存在があるとストレスを受けるので、手短に情報を整理しようとします。
個々を見ないステレオタイプによる判断は思考の負荷が少ないので、脳はエネルギー節約のために概括による安易な認識やラベリングを無意識に選択しやすいでしょう。
個々の要素や他との違いを網羅的に観察するよりも、ステレオタイプ等の標準的なイメージとの類似点を探す方がかかる時間も短く労力は低いという、人が概括を選択しがちな理由を筆者は指摘します。
前回で触れたとおり、日常生活のほとんどはD認識で認識されており、概括のような自動的かつ簡略的な情報処理により膨大な情報に溺れずに過ごせています。
しかし、これがコミュニケーションでの大事な場面や大事な人とのコミュニケーションで起こると、抵抗や人間関係の崩壊のような弊害が生まれてしまいます。
ここでは相談という大事な場面と日常のコミュニケーションという観点に分けて、どんな注意点があるかを考えられればと思います。
過去読んで参考になりそうな本も併せて紹介できればと思います!
相談時の注意点
概括に注意が必要な場面として思いつきやすいのは相談を受ける場面でしょう。
相談を受けた際は問題を早急に解決してあげようという気持ちが生まれますが、効率的な情報処理・早期解決へ急ごうとすると相談相手を概括してしまいがちになります。
しかし、概括は相手に不快感を与えるため、相談により問題が解決するどころか逆に心の距離を遠ざけしまう可能性があるので注意が必要です。
概括への不快感による抵抗によって、観察者のどのような言葉・振る舞いも相手に響かなくなりますし、相手に理解されなかったという絶望で問題が悪化する危険性もあります。
そもそも相手はサポートや助言をそもそも求めておらず、分かってもらえたという実感だけでも救われる場合もあります。
また、表面的な分類のみでは認識に歪みが生まれるため、サポートや助言の方向性がズレてしまう可能性が高くなります。
例えば、自分の経験を元にした相手に当てはまらないもの、もしくはどこでも知れる抽象的な一般論となる場合で、いずれも相談者は相談した甲斐を得られず、二度と相談に来なくなる場合も想定できます。
状況や悩みは一人一人異なるので、自分自身でないと本質的な解決方法にたどり着けない場合も少なくないでしょう。
相談を受けたときにできるのはあくまで解決の手助けであり、そのためには解決策の提案ではなく相手を理解しようという姿勢の方が役に立つという点を学びました。
相談は無理に解決を急がずまずは相手の理解に努める、問題を自分で解決しようとしないという点に注意することで、上記のような事態を回避できるでしょう。
日々のコミュニケーションでの注意点:アンコンシャス・バイアス
また、相談以外のコミュニケーションでも安易な認識によるコミュニケーションエラーへ注意が必要です。
人は過去の経験や知識が認識や判断に影響します。この影響はアンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)として、周囲の人をカテゴリーやステレオタイプに無意識に当てはめてしまう要因となります。
このアンコンシャス・バイアスは無意識にどの場面でも発生するので、日常生活で相互理解を妨げる要因となります。
アンコンシャス・バイアスの理解と対策に役立ちそうな動画を見つけたので気になる方はどうぞ!
バイアスは意識しても無くすことは難しいのですが、人にはそのような習性があると知っておくことで、認識に歪みが生じていないか注意しやすくなります。
じっくり考える時間を取ることで、直観的な判断や無意識の認知のエラーに惑わされないためのコツは「遅考術」で、バイアスを乗り越えてチーム力を上げるコツは「多様性の科学」でも勉強しました!
また、相手の本音を引き出す信頼関係に向けたコミュニケーションを心掛けることで、アンコンシャスバイアスを飛び越えた相手の個性に着目した関係形成が可能となるでしょう!
相手の話を聴くことの重要性は「Listen」から、相手の本音を引き出すための謙虚な問いかけをするコツは「問いかける技術」から学びました!
終わりに
以上、第Ⅲ部「成長と認識」の最終章、第9章「概括されることへの抵抗」でした。
第Ⅲ部「成長と認識」ではこの部の核であり人生の充実や自己実現にも繋がる至高経験、そして至高経験独特のB価値とB認識、そして至高経験で得られる同一性を扱ってきました。
主なポイントを抽出すると下記のようになります。
至高経験とは
至高経験とは最高の幸福と充実の瞬間を指し、下記のような瞬間が例示されます。
B愛情の経験、親としての経験、神秘的、大洋的、自然的経験、美的認知、創造的瞬間、治療的あるいは知的洞察、オーガズム経験、特定の身体運動の成就
至高経験において認識されるB価値
- 全体性:統合性、構造、相互関連性等
- 完全性:必然性、的確性、完備、正当性等
- 完成:終末、応報、成就、運命等
- 正義:公正、正当性、秩序整然等
- 躍動:過程、自発性、不死等
- 富裕:分化、複雑性、錯雑
- 単純:正直、抽象、本質等
- 美:正確、形態+他の特徴の要素
- 善:望ましさ、徳行、正直等
- 独自性:個性、不可代理性、新奇等
- 無碍(囚われずに自由自在であること):安楽、緊張、努力、優雅等
- 遊興:歓喜、快活、ユーモア等
- 真実、正直、現実:赤裸々、純粋、真髄等
- 自己充足:自立性、自己決定、環境超越、みずからでるためみずから以外を必要としないこと等
B認識とD認識
至高経験で得られる同一性
- 統合性
- 完全なる機能
- 自発性
- 独創性
- 世界からの自由
- 無我
- 完成
- ユーモア
- 感謝の念
次回からは第Ⅳ部「創造性」、第10章「自己実現する人における創造性」に入ります。
創造性は至高経験でも触れた要素ですが、実際に創造性とはどのようなものなのか?
筆者の定義を中心に整理できればと思います。
それではまた次の記事で!