マスロー「完全なる人間」を図を交えて整理してみる_24

どうもです!アブラハム・H・マスロー氏「完全なる人間-魂のめざすもの」をテーマとして、読書日記をまとめており、今回遂に最終回です!

前回第Ⅵ部「今後の課題」第14章「成長と自己実現の心理学に関する基本的命題」についての前半部分を扱い、筆者が提唱する新たな心理学について、成長と自己実現を促すための要素として精神的本性、動機、欲求、欲求不満、環境など主に過程として分類できる研究課題について整理しました。

今回も引き続き重要な研究課題を扱いますが、最終章の後半ということで特に成熟や成長、至高経験、自己実現などの目指すゴールに関するテーマが多くなります。

それでは早速本題に入りましょう!

成熟と未成熟

筆者は下記のように成熟未成熟を定義しそれぞれの特徴、主に成熟とはどのような状態を指すかについて述べます。

欲求から解放されることにより、自身の表現・能力の発揮を目指す動機や、対象をありのまま認識するB認識が優勢になるなどの特徴があり、自己実現や完全なる人間としての精神的本性の発揮が可能となります。

成長は容易ではない

上記のように成熟には恩恵がありますが、そこに到達できる人は1%ほどで非常に困難であると、下記のような理由をあわせて筆者は指摘します。

  • 文化的要因本性を発揮するのは悪で危険であるという風潮
  • 人間の特性成長欲求よりも優勢な防衛反応
  • 成長を目指す上での苦悩未知への挑戦、安全・安易・無為な生活の喪失、挫折の可能性

成長は報酬と喜びをもたらすのみでなく、到達するまでにいくつもの本質的な苦悩がつきまとい、成長することにも成長しないことにもそれぞれ一長一短があることを筆者は主張します。

成長による苦悩を解消しようとする防衛反応は人に必要なものであり病的なものではないのですが、成長傾向よりも優位であるがために成長の抑止力となります。筆者は成長を促進する方法として下記のように主張します。

全体として健康に成長する理想的な方法は、成長のもつすべての利点と、成長しないことの不利益な点をすべてたしかめるとともに、成長のもつすべての不利な点成長しないことのすべての利点を減らすことである。

アブラハム・H・マスロー「完全なる人間」p259
K
K

第5章「知ろうとする欲求と知ることのおそれ」でも、成長欲求の内の一つの知的欲求が、安全欲求により抑制されるメカニズムを整理しましたね・

現在の病根、人間性の歪曲と価値の喪失

本人が何を善いことと感じ何を価値と捉えるか成長の動機となります。

筆者の指摘する問題点としては、この発揮されるべき人間性が歪み、本人にとっての価値を見失ってしまった人々の存在です。

成長に伴う苦痛を乗り越えられず、簡易的かつ快楽的な欲求での満足に妥協してしまうと、精神的本性が発揮される機会は失われ、いずれ自身にとって何が良いかという基準も精神的本性ではなく目先の欲求に依存するようになります。

その結果、一貫性のある価値体系が失われ、筆者はこのような状況を精神病的と称します。

価値体系が失われた状況では人は行動の動機が短期的な欲求に基づくようになるため、犯罪行為を含めた善悪によらない利己的な行動に走りがちとなります。

筆者はこの生きる上での価値体系を人は求めており、栄養のように欠かせないものであることを下記のように主張します。

人間は価値の枠組み、人生哲学、宗教、宗教代理物を、生きるため、知るために求めており、それは人間が日光やカルシウムや愛情を求めるのとほとんど同じ意味である。これをわたくしは「理解の認識欲求」と呼んできた。

アブラハム・H・マスロー「完全なる人間」p261

対立概念の統一

これまでも触れられた通り、自己実現した人の特徴として、一見二律背反しているように見える概念の統合、二分法の解決が挙げられます。

人格が未成熟な状況で苦悩の原因となる対立概念への葛藤は、成熟し自己実現した人では調和され、問題が解消されるどころかこれらの概念が共働し好ましい結果をもたらします。

対立概念の調和の例としては、まず利己主義と無私の態度の融合が挙げられます。これは周囲への貢献自体またはその過程における能力や創造性の発揮に価値が置かれることで、自分のための行動が他者のための行動と一致することを意味します。

そのほかの例としては、仕事と遊戯健康な無意識と望ましい退行合理性と非合理性(もしくは本能的欲求)感覚と行動が挙げられます。

筆者はこの二分法の解決という視点で、初期のフロイトの立場との違いを明記します。

初期フロイトでは、本能と防衛、意識・前意識・無意識という概念が互いに相反し調和されないものとして扱われており、片方が他方より「よい」ものとして明確に分割されている点を筆者は指摘します。

言語的抽象化の危険

二分法が解決されると、自然に自己を導き創造性や洞察力を発揮する源泉となる「健康な無意識」感情や直感、創造的なひらめきを指し、豊かな人間性の形成、柔軟な思考や創造的な解決策を生み出す力となる「健康な非合理性」という概念・考え方が生まれます。

これらの考え方の中で重要となるのが認識であり、その認識のプロセスで発生する言語的抽象化に対しての注意点を筆者は指摘します。具体的には言語化や抽象化の際に下記のような点に注意が必要となります。

  • 創造性はその起源を非合理的なものに持つこと
  • 言語は全体的現実を述べるには不十分であること
  • 抽象概念現実から大きく遊離すること
  • われわれが「知識」と呼ぶものは、抽象によって包括しきれない現実の一面に目をつぶること

言語化・抽象化は物事を単純化するので理解する上で便利ですが、その反面で表現しきれない部分がそぎ落とされてしまい、対象の豊さを見失う可能性があります。

言語化・抽象化は説明や理解の上で便利だが、表現できない要素の喪失というデメリットがある
(百聞は一見に如かず)

この危険性は特に教育や科学の分野で注意が必要であり、そのような事態を回避するためには、実際の具体的経験やその経験におけるB認識による主観的であるがままの観察が必要となる点を筆者は指摘します。

科学と教育は、もっぱら抽象的、言語的、書物中心に過ぎると、なまの具体的、美的経験、ことに自分のうちの主観的事態について、十分に論ずる余地をもたない。そういうところから、たとえば、有機論的心理学者は、芸術の干渉や芸術の創作、舞踏(ギリシア式の)体操といった、現象学的観察による創造教育の望ましいことを、はっきりと一致して主張するのである。

アブラハム・H・マスロー「完全なる人間」p264
K
K

机上の空論にならないようにということですね。実際の事象に基づく認識が重要という主張は、筆者が自己実現の要素を実際に成熟した人を観察することにより特定しようとした姿勢・行動と一致しますね。

創造性、至高経験と健康な人格

一次的過程無意識な衝動は退行の誘因となるため自己実現への成熟と一見逆行しそうな要素です。

筆者は健康な人格を持つ人のみがこれらの要素を恐れず存在を受容して二分法を解消して自発的な退行を活用でき、筆者はこの活用が創造性の主な条件の一つであると主張します。

実際に筆者は第10章「自己実現する人における創造性」において、創造性を持つ人の特徴として、子供のころの無邪気さを兼ね備えており、物事をありのままに観察し自発的に活動する姿勢が重要となる点を紹介しています。

成熟を求め一次的過程を捨ててしまうと遊び心やユーモアも失うことも意味し、自由で新しい発見、発想、取り組みは生まれず創造性の喪失につながると言えるでしょう。

一次的過程や無意識な衝動を発揮できないのは、精神的に病的な状況の原因と結果となります。

逆に一次的過程や無意識な衝動を健康に活用する方法を学習することは、子供の健康増進にも役立つ可能性を筆者は指摘します。

更に筆者は下記の理由から美的鑑賞と創作、美的至高経験は下記の理由により、人間生活、心理学、教育のおまけではなく中心的な面として重要なことを主張します。

  • すべての至高経験は分裂統合を伴い、健康に向かうものであり、それ自体が一過性の健康となる
  • 至高経験はそれ自体、人生を価値あるものに変え生きる意味となる
  • 至高経験自体に価値があるため

自己実現と個の確立

ここで筆者は自己実現している人の特徴として、悩みの種類個の確立をあげます。

自己実現まで成熟している人でも悩みが完全になくなるわけではありません。むしろ悩みが無いとは何かしらの問題から目をそらしていることを意味するため、不健康な状態と言えるでしょう。

しかし悩みの種類が、神経症的なえせ問題から、人間生活の本質からして固有の生々しい避けることが出来ない実存的問題に変わることを筆者は主張します。

K
K

この特徴は現実的で悩む必要のある問題に対し、本人の良心を持って自発的に個人の価値観で悩むことを意味し、自分が現実的に関われる問題にエネルギーを絞れるため、問題解決、その過程の能力・創造性の発揮という形での至高経験を得られる誘因になり、より自己実現に繋がる特徴になると解釈しました。

さらに健康で自己実現をした人に決定的な一面は個の確立であり、自らの欲求を満たす能力や責任感が挙げられます。

これは幼少期に親からの愛を享受しながら成長する上で役立った親に従順で依存する姿勢を捨てる必要があります。

両親の倫理的指針ではなく、自身の良心に基づく価値体系で自分を満足させる方法を学び、自分の行動に自分で責任を持つ。更に責任を持つこと自体を楽しめるようになることが望まれると筆者は説明します。

個人と世界との関係

個の確立自己実現の重要な特徴となり、個々の自己実現を目指す上での最も参考となる指針が本人の中に内在するのであれば、社会あるいは文化といった外部環境の持つ個々への影響は、成長を促進するか、阻害するという補助的な作用に限定され、あるべき姿の掲示・決定はできないと筆者は主張します。

基準は外部ではなく本人に内在するため、人の健康や成熟、成長は文化や環境への適応という観点から判断することの是非について筆者は疑問を投げかけます。

自己実現する人は外部環境に馴染みますが、恐れや順応による適応とは過程が異なり、この違いは第13章「環境を超えるものとしての健康」でも説明されました。

自己実現した人は自己を超越し、自分を没入させることでより大きい存在の一部として同化できるという特徴があります。

この同化という現象は新しい経験や知識を柔軟に取り入れ、自己の一部として統合するという観点で成長のために重要であり、同化の経験を重ねることで自信を伴った自立性のある高次の同化が可能となります。

内面生活の必要性

筆者は最後に自己実現する人の特徴として、時間や世界を超えた、内面的な精神世界をも生きるという点を紹介します。

この内面生活を恐れず満喫できるからこそ人生の至高の楽しみを味わうことが出来ると筆者は主張します。

注意が必要な点として、この内外の現実を混同し、またはいずれかの世界にしか生きられない状況を病的であると筆者は指摘します。

健康な人は、内外の世界を自発的に選択して行き来して自分の生活に統合することが出来教育の上でもこの二つの世界を生きる支援をする必要があると筆者は主張します。

K
K

この内面生活というのは空想や想像の世界を指すのか推測しましたが、突然出てきた表現で中々解釈に苦戦中です。ニュアンスから言うと瞑想や内省、自己との対話などの精神活動全般を指していそうです。これらの活動により自己認識が高まり、自己実現の上で目指すべき方向性を決めるのに重要なステップとなると推測します。

そして異色ある理解を生じる主張として下記2点を記述します。

この世界に順応するのに必要なこと

D欲求の満足は、外界からくるものである。したがって、この世界に順応するには、この世界の性質世界と内面との区別を知りどの部分が満足に繋がり、どの部分が不要で危険かを知ること等が必要となると筆者は主張します。

闇雲に接するのではなく、自分に重要なもの、自分が変えられるものをしっかり区別して取り組みの対象を集中させることが世界に順応するために必要な姿勢と読み取りました。

K
K

D欲求や順応に着目していることからこの主張は低次の欲求の満足、D(生成の)心理学に関する主張となるでしょう。世界を自分の欲求を満足する手段として捉えている段階としていることも特徴ですね。

世界の魅力に気づく過程の行為

次の世界の魅力に対する個人の行為に着目します。筆者の前提としては世界はそれ自体、興味深く、美しく、魅力的なものであるということです。

上記の世界の魅力を探索、操作、熟考、満喫するのは動機づけられた行為となると筆者は指摘します。。こちらは世界を対象とする意図的な行為といえるでしょう。

一方で少なくとも、世界とほとんど関係を持たない、もしくは無関係であるような行為もあります。それは個人の本能的欲求に基づく、個性・能力の発揮という生命の表現(自己実現)です。

この表現は自己から生まれる動機をの出発点としており、世界からの享受を意識・目的としていませんが、成熟により自己実現に至ることで、結果として世界からの享受も可能となる状態となります。

そして、一方で一見行為と逆の概念ともなる瞑想と鑑賞という精神活動にも筆者は着目し、待機の姿勢を取れる能力と称します。自身の価値の確認やB認識という観点ではこの精神活動も世界の魅力を享受するのに繋がる活動といえるでしょう。

K
K

こちらは欲求を満足させるための道具ではなく、世界のあるがままの姿により美しさ・魅力を享受する姿勢からB(生命の)心理学に寄った主張になっていると読み取れます。

最後に過去・現在について、フロイトから学んだ点未来に関する筆者の主張で第14章は締めくくられます。

フロイトからわれわれは、人間においては過去が現在に生きていることを学んだ。(中略)未来もまた理想、希望、義務、課題、計画、目標、実現されていない可能性、使命、運命、宿命などのかたちをとって、人の現在に生きていることを学ばねばならないのである。未来をもたない人は、具体性と絶望と空虚に陥る。(中略)生命の状態にある存在は、未来を必要としない。というのは、かれはすでにそこにあるからである。(中略)その約束手形は、究極の報い、すなわち、時間は消え、望みの達せられる至高経験のかたちで支払われるのである。

アブラハム・H・マスロー「完全なる人間」p271
K
K

低次の欲求不満がある人は、現状の不満に囚われる日々からの脱却・改善の可能性、自分の人生に価値を与えうる希望の存在という観点から「未来」が必要であるのに対し、自己実現している人には現在のその瞬間瞬間で至高経験という形で人生を満喫しているため「未来」を必要としないと読み取りました。

最後に

以上、アブラハム・H・マスロー氏「完全なる人間-魂のめざすもの」に関する読書日記で、最終章の第14章「成長と自己実現の心理学に関する基本的命題」でした。

現代を生きる上でも大事な概念や考え方が詰まった、とても大事にしていた書籍であったので大分ゆっくりじっくり整理してきましたが、ようやく最終章にたどり着いて大きな達成感を感じています!

もちろん読み込みが浅い所や解釈が怪しいところがあるところもあるかもしれませんが、時間を掛けた分、最初に読んだ時には理解できなずずっともやもやしていた部分も含めてマスロー氏の主張や立ち位置を深堀できました!

最終章ということもあって、第13章までで取り扱ってきた重要なテーマがギュッと詰まって揃っており、第14章前半を取り扱った前回の記事と含め、本書の総復習をしている感覚で、筆者の主な主張は何か我々の人生にどんな点を活かせるかについて、再整理することができました。

まだまだ自身は未成熟で基本的欲求の欠乏動機から解放されていない段階ですが、まずはその欲求にしっかり向き合うことで基盤をしっかり固めながら自己研鑽自身の価値観の探索を並行させ、自身の能力の最大発揮、自己実現への一歩を目指していきたいと思います!

マスロー「完全なる人間」を図を交えて整理してみる_1

今後はまた1,2回で1冊を取り扱う形式中心の読書日記に戻る予定です。

それではまた次の記事で!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA