どうもです!アブラハム・H・マスロー氏の「完全なる人間-魂のめざすもの」をテーマとして、読書日記をまとめています。
第7回から第Ⅲ部「成長と認識」、第6章「至高経験における生命の認識」に入り、第11回まで具体的に至高経験の特徴やその経験を人がどのように認識するかというテーマを扱いました。
個々の認知をベースとした難しいテーマで整理に苦戦してしまい、再開まで充電期間を要してしまいましたが、今回から第7章の「激しい同一性の経験としての至高経験」に入ります。
この章は同一性の定義を確認する部分と、至高経験における同一性について色んな側面から検討する部分に二部されます。
今回は主にこの同一性という概念を筆者がどう考えているかという前者の部分に焦点を当てようと思います。
それでは早速本題に入りましょう!
同一性の意味
同一性という言葉は日常生活であまり耳にしない言葉です。辞書の定義を抜粋すると下記のように説明されています。
個物が時と場所の相違、諸性質の変化などを通じてそのもの自身であり続けることをいう。人の場合はとくに「人格同一性」とよばれる。
コトバンク、日本大百科全書(ニッポニカ)より
一方で筆者は同一性の定義について下記のように言及します。
同一性の定義を求めるにあたって、われわれはこれらの定義や概念が、いまどこか隠れた所にあって、みつけられるのを辛抱強く待っているように考えてはならない。ただ一部だけをわれわれが見つけ出すのである。一部はまたわれわれが創り出すのである。また一部の同一性は、われわれがそうだと思うものである。
アブラハム・H・マスロー「完全なる人間」p131
上記より筆者の本書における同一性に関する前提を下記のように読み取りました。
- 同一性とは自然科学の現象のように発見・観察されるものではない
- 同一性のような事象もしくは特徴は確認されるが、人により作り上げた概念的な部分も含む
- 人により定義が異なり、唯一絶対の定義はない
同一性は場面や使用意図によってその意味が異なるので、筆者は自身が本書で同一性をどのように扱うのか丁寧に整理します。そして、本章においては特に下記のように補足します。
至高経験に関するもので、そこでは「同一性」が様々の現実的で筋の通った有効な意味をもっているのである。だが、これらも同一性の真の意味であると主張することはできない。ただここに別の角度があるといえるのである。人びとが至高経験におかれているとき、最も同一性を経験し、現実の自己に近づいており、最も固有の状態であるというのがわたくしの感じなので、これは純粋、無垢のデータを提供してくれる、とくに重要な源泉であると思われるのである。
アブラハム・H・マスロー「完全なる人間」p131-132
筆者はここで同一性を一般と少し異なる要素を含めて用いようとしており、上記の「現実の自己に近づいており、最も固有の状態である」がキーワードとなることが読み取れます。
本章で筆者が使用する同一性を言い換えるのであれば、「無理なく自分のありのままで個性を発揮している状態」となるでしょうか。
「無理なく」、「ありのまま」、「個性の発揮」はいずれも人格の確立につながる要素で、筆者のいう「自己実現」を生み出すキーワードとなりそうです。
同一性を分析するにあたって
筆者は本章における同一性の定義という前提を整理した後、至高経験で確認される同一性を様々な角度から検討します。
複数の視点からの記述は全体論的な記述を目指すためであり、これは美術評論家が素晴らしい絵画を色んな構図に思いを巡らせながら全体像を把握していくのと同等であると筆者は説明します。
更に注意点として、これらの要素は完全に分離されるものではなく要素間で共通点を持つことを補足します。
思考を整理する上で有名なフレームワークのMECEが求めるのは「漏れなく・ダブりなく」なので、要素間で重複・共通点があるのは少しもやっとしましたが、観察・認知された現象を無理に分解することなく、そのまま素直に記述することで、曲解を避けた純粋な考察ができるという筆者の意図があると推測しました。
筆者は至高経験における同一性を下記の要素に視点を変えて言及します。
- 統合性
- 完全なる機能
- 自発性
- 独創性
- 世界からの自由
- 無我
- 完成
- ユーモア
- 感謝の念
いずれも幸福感や充実感に繋がりそうと感じる要素ですね。これらの要素を自分の活動に取り入れられないか考えることで充実した成果や至高経験、そして同一性を得られやすくなることが期待できそうです。
自分の活動で何か物足りなさを感じる場合は上記のいずれかが足りないのかもしれません。取り組み方法を改善するためのヒントが得られそうですね!
それぞれの要素についての詳細は次回記事で整理してみましょう。
それではまた次の記事で!