どうも!皆様いかがお過ごしでしょうか?台風が多く厄介ですが、接近する地域にお住まいの方はくれぐれもお気を付けください!
一方で暑さも和らぎ、色々活動しやすい季節にもなってきました。読書にしろ、食欲にしろ、芸術にしろ、スポーツにしろ、何かを始めるor再開するのには絶好の機会ですね。
新しいことを始める前に、先月まで読んでいた「風と共に去りぬ」の感想日記をまとめておきたいと思います。しっかり時間を掛けて味わった5冊だったので、得られた充実感や学びも記録したいと思います!
ちなみに印象に残ったセリフや場面をまとめた読書日記初回はこちらです。
本記事が、「風と共に去りぬ」というタイトルだけ知っていていつか読んでみたいと思っていた方、映画のファンだけど原作はまだ手にとっていない方にも興味を持っていただくきっかけとなれば幸いです!
あらすじ&背景情報
本書について
1936年に刊行されたマーガレット・ミッチェルによる長編時代小説です。当時のアメリカで100万部を超えるべすとせらーとなり、発刊翌年にはピューリッツァー賞を受賞しました。
以降世界中での発行部数は2000万部を超えるといわれており、1939年に公開された映画版も世界的にヒットしています。
日本でも初翻訳(1938-1939年)後、半世紀以上も経った2015年に新約版が新潮文庫と岩波文庫からほぼ同時に刊行されるほど根強い人気がある作品です。
そのため、名前だけでも聞いたことがある方も多いのではと思います。
私もタイトル自体は約20年前から知っていました。
新潮文庫第一巻あらすじ
アメリカ南部の大農園<タラ>に生まれたスカーレット・オハラは16歳。輝くような若さと美しさを満喫し、激しい気性だが言い寄る男には事欠かなかった。しかし、想いを寄せるアシュリがメラニーと結婚すると聞いて自棄になり、別の男と結婚したのも束の間、南北戦争が勃発。スカーレットの怒涛の人生が幕を開ける-。
登場人物:今回の記事に関係する人と情報に限定(新潮文庫第一巻より引用)
- スカーレット・オハラ:本作のヒロイン。<タラ>の大農園主オハラ家の長女。個性的な美貌と激しい気性の持ち主。
- ジェラルド・オハラ:スカーレットの父。アイルランド移民で身一つから大農園の主に成り上がった。
- エレン・オハラ:スカーレットの母。フランス貴族の血を引く貴婦人。
- アシュリ・ウィルクス:スカーレットが想いを寄せるウィルクス家の長男。音楽と本とヨーロッパ文化を愛する。
- チャールズ・ハミルトン:メラニーの兄でスカーレットの最初の夫だが、南北戦争で戦病死。
- ピティパット・ハミルトン:チャールズとメラニーの叔母
- メラニー:献身的な心の持ち主。アシュリと結婚する。
- レット・バトラー:チャールストンの名家出身ながら、無頓で不思議な魅力をもつ。
舞台背景:南北戦争時期のアメリカ
舞台は1861年~1865年の南北戦争が迫るアメリカ。主人公のスカーレットは南部連合側に位置する大農園主の長女です。
商工業発達による近代化が進み奴隷制度廃止を主張する合衆国連邦(北側)と奴隷を使役した大規模農業により稼ぎを上げる南部連合間の摩擦が大きくなる中、物語はスタートします。
南北戦争については世界史の窓さんで、背景を学びました。
また戦争以外で補足するべき背景知識として、本小説の舞台は貴族文化が残っており、女性は夫を支える存在としての役割が求められていました。
周囲から求められる理想像に囚われずに自分の欲求を達成しようとするスカーレットの姿勢が本作の魅力を生み出す共に、様々なトラブルを生み物語を色濃く複雑な味わいとします。
タイトルは詩から引用されており、南北戦争を「風」と例えられ、当時絶頂にあったアメリカ南部白人たちの貴族文化社会が消え「去った」ことを意味しています。
本書を読んで感じた面白さ
お互いに惹きたて合う個性的なキャラクター
個々のキャラクターの一貫性
本作の登場人物はどれもその個性が一貫して色濃く豊かに表現されています。
代表例は最後まで強情で歩みを止めないスカーレットであり、どんな悲劇にも挫けず道を切り開く姿に惹かれ、この物語を好きになった人も多いと思います。
しかし、スカーレット以外の個性的な登場人物の存在もこの物語に欠かせません。
自分の欲望に忠実なバトラー、貴族的な物語の世界に生きるアシュリ、スカーレットに目を掛けお節介を焼き続けるマミー、そして、か弱そうに見えて誰にも負けないやさしさと意志の強さを持つメラニー。
登場人物紹介で名前が出てこないキャラクターである、昔の伝統を尊重するアトランタの貴婦人方や製材所で囚人を酷使する暴虐な雇われ所長まで、その個性は物語を通して一貫しています。
この一貫性とは、筆者が各登場人物の性格設定が明確かつ詳細に構想しているため生まれ、各登場人物の言動の納得感の強さに繋がっていると考えます。
作中における登場人物の立場が読者に分かりやすいという点も、本作の読みやすさにもつながり結局多くの人に愛されている要因なのかもしれません。
全五巻にわたる長編において、場面/環境の変化により立ち振る舞いは変化しますが、その登場人物の性格から納得する範囲での変化となります。
「たとえ振る舞いを変えようとしても本質を変えることは出来ない」ことをバトラーが本作中で語った真理を、筆者がまさに小説中で表現していることがこの小説の凄い点だと感じました。
そのため、生き生きと描かれた登場人物たちが起こす行動とやり取りで深みが増した物語に、読者は違和感なくのめり込むことができます。
登場人物の個性により活きる対比の効果
上述した各登場人物の個性は、その登場人物自身の魅力を生むだけではなく、対比という形でお互いの魅力を惹きたてあいます。
例えば、過去の世界から脱却できないアシュリや貴族の伝統を重んじる貴婦人たちの存在により、スカーレットの振る舞いと生き方のイレギュラーさが強調され、スカーレットがどのようなキャラクターであるかのイメージが鮮明になります。
もし、スカーレットの成功を受け、彼らがその富を羨むようなキャラクターであったなら、富を得たにも関わらず充実感を得られず孤独に悩むスカーレットという本作の見どころは生まれないでしょう。
また、メラニーという心優しい貴婦人の象徴は、スカーレットに理想とのギャップを痛感させる存在です。母エレンのような存在に憧れながら育ったスカーレットにとって、このギャップが自分の選択に後悔と不安を感じる要因となります。
また、この対比はキャラクター間のみでなく、個人でもその効果を発揮します。
例えばバトラーは、愛娘ボリーの誕生後、そして最終場面と、振る舞いを2回も大きく変えます。それまで一貫して無類漢として好き放題振舞わってきたバトラーであるからこそ、この変化が持つ意味の大きさを読者は感じるでしょう。
前者はバトラーにとって愛娘ボリーがどれだけ大事な存在であったかを、後者はバトラーの心境の変化が決定的であることを強調します。
さらにこの振る舞いの変化は、自分の欲望に忠実というバトラーの本質という軸がぶれないため違和感が生まれません。
筆者がキャラクターを丁寧に構想しているからこそ、登場人物の個性を違和感なく最大限なく発揮しながら物語の重要な役割を担わせることが出来るのだと感じています。
無駄のない細かい表現による伏線
丁寧に描かれる登場人物の心情
また、何よりも面白いと感じたのは、細かい表現による心情表現の数々です。
セリフは勿論、表情や仕草の細かいささやかな描写が、登場人物の心情を表現し、その後の展開に説得力を持たせます。
登場人物の心情描写が乏しいと、登場人物の理解が難しくなり、読者の心も作品から離れがちです。その一方でしつこく説明臭い表現は、物語に歪さを生むのみでなく読者が考える余白を奪うため、作品の魅力を壊す危険性があります。
その点で、本作はさり気ない表現を作中に散りばめることで、回りくどさやしつこさなしで登場人物の心情が色濃く表現されていると感じました。
この繊細な表現は、本書の読み応えと考察の余地という面白さを残しながら、読者を登場人物への感情移入に導き、本作へよりのめり込ませる魅力となります。
また、この表現力の豊かさが前述の各登場人物の個性と魅力をより鮮明に読者に伝える要因と考えます。
設定や出来事、登場人物の配置の無駄の無さ
また、文庫版5巻に渡る(岩波文庫では全6巻)長編でありながら、無駄と思える設定や出来事、登場人物がありません。
初回読んだ時は気付けないさり気ないものも含め、それぞれ後々の展開に絡む役割を持っており、読み返しにその存在の意図の再発見という面白さが得られます。
本書をただ読むだけでなく、読書日記のテーマとして幸運であったと実感しています。
本作の映画は全世界でヒットし、本作をより有名なものとしましたが、作者は映画化を拒んでいたと言います。
その理由は、映画化の上でいくつかの場面のカットが予想され、どの場面をカットしても、10年近い歳月をかけて伝統工芸のように丁寧に紡ぎあげた本作品の魅力を再現出来ないと考えていたためと解説で紹介されます。
どの要素も無駄が無いように物語を作り上げたという作者の想いが伝わるエピソードです。
実際に映画化では大変な苦戦が強いられたそうで、レビューを見ていると映画だけでは得られない本作品の面白さや発見を指摘する声も少なくありません。
映画しか観たことが無い人に、わたしが原作をオススメする最大の理由です。
本書の各場面がどの場面に繋がるかと考察しながら読むのも本作の魅力を最大限に味わうための楽しみ方の一つとなります。
実際に本書を手にとっていただければ、長編でありながらその無駄の無い凝縮されたストーリーの濃さに驚かれると思います。
本書から学んだ点
現在持っている大切なものに目を向けることの重要さ
手に入れたはずの夢、満たされぬ心
未来の財産のため、自身のプライドのため、前進を止めないスカーレット。その姿勢は実業家としての成功や<タラ>の死守などの、輝かしい成果を上げました。
しかしその一方で、スカーレットの心は中々満たされません。自分の生き方を必死に正当化しようとしますが、自分が幸せであると明言できない場面もありました。
貧乏となった時代から安全な地位を確保した後は、母エレンのような誰にも優しい貴婦人になりたいと考えていましたが、終盤でお金持ちとなり豪華な暮らしができるようになってからも、何かに追われるように金策や浪費を止められません。
その結果、旧知のアトランタ市民からは見放され、数少ない理解者も次々とスカーレットの元を離れ、スカーレットは孤独を極めていきます。
限界を知らないドーパミン的幸福
以前記事を書いた「精神科医が見つけた3つの幸福-最新科学から最高の人間をつくる方法」(飛鳥新社出版)で我々が感じる幸せは、関連するホルモンにより3つの幸福に分けられることを学びました。
セロトニン的幸福とは、一言で言うと、健康の幸福。心と体の健康です。
オキシトシン的幸福とは、つながりと愛の幸福。友情、人間関係、コミュニティへの所属などの幸福です。
ドーパミン的幸福とは、お金、成功、達成、富、名誉、地位などの幸福です。
精神科医が見つけた3つの幸福-最新科学から最高の人間をつくる方法 p24
スカーレットは「ドーパミン的幸福」に執着していた状況と言えます。ドーパミン的幸福に人は慣れやすく、継続した満足感を得るためにはより強い快感が必要となり、歯止めが効きにくくなります。
また、更なる満足感を得る過程で人間関係を捨ててしまったスカーレットは、オキシトシン的幸福を得る機会も失い、充実感が得られない日々に苦しむこととなります。
強欲により破滅を生む寓話は昔から多くありますが、本作は色彩溢れる一連の物語の中で教訓が興味深く表現されていると感じます。
スカーレットは失敗こそすれど決して絶望せず、度重なる失敗から悩みながら立ちあがる度に徐々に成長していく姿が描かれます。
ここに単純な教訓とは一線を画した、人間の心情をリアルに表現した面白さが生まれます。
今の自分にとって大切なものとは何か
スカーレットが充実感を得られない理由としては、自分が手に入れていないものにばかり目を向けるスカーレットの特性があげられます。
これは金銭や地位のみでなく、第一巻から想い追いかけていたアシュリへの恋心も同様です。
バトラーもスカーレットのその性格を見抜いていたため、素直に気持ちを伝えられず、まわりくどいアクションに徹する他ありませんでした。
スカーレットは自分に取って何が大切な存在であるかを失ってから気づきます。これは自分が持つもので大切なものが何かを考え、その大切なものに時間を割く習慣が無かったためと考えられます。
これは我々も陥りがちな状況で、情報が溢れ他人と比較しやすい現代では自分に不足しているものばかりに目が行きがちです。
未来を考え新しいことに取り組むことも長い人生の中で重要ですが、本当に大切なものを見落とさないために、現在の自分に目を向け今に集中する時間とのバランスを意識する必要があります。
このバランスが崩れると、大切な人を失くしてから後悔したり、大事なことを先延ばしして機会を失ったり、自分が既に手に入れたものの価値まで損ねる危険性もあります。
そのためには、自分に取って大事なものは何か、今自分に出来ることは何か、自分が時間を割くべきものは何か、自分にとって充実した時間の使い方とは何かを考え行動を変えるることが重要となります。
スカーレットは自身の失ってからその大切さに気付く悪習慣に終盤で気付きましたが、同様のことを我々もしていないか振り返るきっかけともなる一冊であると考えています。
以下参考になりそうな記事のリンクを貼るので興味ある方はこちらもご覧ください!
時間に関する価値観を見直し、人生の生き方を考える:読書日記 「自分の時間を取り戻そう!」-重要なことに取り組むコツ-読書日記1/2 お金ではなく人生を最大化する9つのルールとは?-読書日記目の前の困難に負けずに立ちあがる強さ
自分が手に入れているものに気付かないまま、1つずつ大事なものを失くしていく悲劇のヒロインのスカーレット。
しかし、それでもスカーレットに魅力を感じるのは、その逆境に負けずに立ちあがる‘Tomorrow is another day.’の精神でしょう。
どんな悲劇に巻き込まれても、絶望せずに解決策を見つけて前進する。その姿勢に勇気を貰った人も少なくないと思います。
この世の中には大きく分けて楽観主義と悲観主義があり、悲観主義の方が現実が見えており知的なように感じますが、心を疲弊させて前に進む力を奪いがちです。むしろ、困難を必ず乗り越えられるものとらえる楽観主義の方が、復活する原動力や努力の動機を生み出し、得られる恩恵は大きいです。
悲観主義が心を疲弊させる要因の一つは不幸に対する姿勢です。(参考:下記図書)
- 永続性:悪いことがずっと続くと考えてしまう
- 普遍性:悪いことが自分の人生のあらゆる側面で大きな影響をもたらすと考えてしまう
- 外的統制:自分には困難を乗り越える力が不足していると考えてしまう
スカーレットの言葉には、心を疲弊させる3要素をすべてを吹き飛ばす強さを感じます。
「とりあえず、なんでもあした、<タラ>で考えればいいのよ。明日になれば、耐えられる。(中略)だって、あしたは今日とは別の日だから」
風と共に去りぬ第5巻 ミッチェル p511-512
その他の場面での「重荷というのは背負える強さをもつ肩にあたえられるのだ」という言葉も、困難を自分が乗り越えられるハードルと認識し直すことで、ストレスや不安を軽減する効果が期待できるため印象に残ったフレーズです。
我々も辛いことがあった時はスカーレットの言葉を思いだすことで、不幸で不安な気持ちからの翻弄を断ち切り、立ちあがれるための勇気が得られるでしょう。
スカーレットほどは上手く出来ないかもですが、少なくとも前進は出来るはずです!
出来事を複数の立場で見る重要性
その他には、歴史的出来事を一つの側面から見る危険性について改めて学ぶことが出来ました。
歴史は勝者が作るという言葉もありますが、違う視点からの情報を得ることで、断片的な情報から生まれるシンプルなラベリングによる偏見を解消することが出来たと感じます。
KKK(クー・クラックス・クラン)は血も涙もない利己的な暴力集団と思っていましたが、本作では北部の圧政により暴走する黒人から家族を守るための組織として描かれます。
少し調べてみると、時期や地域により大分色合いが異なる組織であることを知ることが出来ました。
当時の風潮も合わさり手段はいずれも暴力的で、現代の感性からはやはり受け入れられない組織であることは変わりませんが。
民族などの、立場によって見え方が大きく変わる話題については、特に慎重に情報を収集する必要があるなと感じました。
本作についても、映画版での黒人の扱い方が差別的であるという指摘があり、本作の身で当時を知った気になるのも注意が必要なことが伺い知れます。
おわりに
以上、深みのあるストーリーの面白さに加え、色々な学びも得られた「風と共に去りぬ」でした。
小説をここまでじっくり読んだのは初めてでしたが、お陰でこの作品の完成度と魅力の深さを実感できたと思います。
印象的なセリフや場面が多すぎてピックアップするものを絞るのが一番大変でした笑
毎回は難しいですが、今後もこの読み方を採用してみたいなと考えていました。
読む前は5冊もの大作に読み切れるか尻込みしていましたが、読んでみたらあっという間に読破してしまいました。
この記事が、皆様の本作への関心を惹き立てるものとなっていましたら幸いです!
それではまた次の記事で!